物流よもやま話 Blog

金の卵の温めかた

カテゴリ: 実態

10月頃まで暑いままだと体がもたない、という声が現場から聞こえてくる。
読者諸氏ご承知のとおり、空調完備の恵まれた環境は依然少なく、大多数の倉庫や車両基地は「扇風機と休憩と給水と日陰」で過酷な熱波から身を守っている。

先日とある事業所の庫内空調機の見積額を目にしたが、私の記憶にある単価の倍以上だった。しかも電気代の高止まりという悪条件を呑まねばならない。これでは導入に踏み切れない事業者が多いのも肯ける。そのうえに発注から着工まで相当待たされるようだ。
空調設備の有無は雇用維持や新規採用に多大な影響を及ぼすことは理解しているものの、試算した設置コストと月額電気代は導入効果の一切を吹き飛ばすほどの「どうやっても無理」な金額となるのが常だと聞く。

大企業については好決算が続いており、それは物流業界の上位数社についても同様である。
昇給や賞与増額といった年収アップに加え、有給消化促進や育児休暇、一定日数の在宅勤務、残業手当の未払撲滅監視など、まさに労働者に有益な環境が急速に整備されてきた。
令和とは大企業従業員の厚遇化が進み、労働者の大多数を占める中小企業従業員との格差がより拡大する年号――のような文言が後の時代の労働年鑑に載りそうだ。

大企業の方々からは「好調さばかり話題になるが、メディアが取り上げない負や影もたくさんある。その陰惨さや根深さは中小企業にはないと思う」という切実な声も届く。
だからといって高収入や労務環境の良さや職場の立地や福利厚生一般は良いに越したことはなく、どこに勤めようとも「なんらかの不条理や不本意に耐えて忍ぶ辛さ」がついてまとうのであれば、やはり大企業の労働環境点数は高くなるはずだ。

従業員の労務や福利厚生が目覚ましく改善しつつある現在、昭和・平成に「あたりまえ」「一般的・普通」とされていた行事や集まりがことごとく見直されている。
もちろん大企業に偏っての傾向である。自在拡大の因果と言い換えてよいだろう。
残業規制は定時退社の促進効果を生み、テレワークと有給取得励行は非正規な会社行事――たとえばゴルフコンペや各種呑み会などの「仕事ではないが、いわゆる“のようなもの”」として参加が暗黙の了解化していたあれこれは激減した。細かいことを言い出せばきりがないほどあるし、中には「なくなってよかったではないか」と内心で同調するものも少なくないが、ちょっと寂しさを感じてしまう。

物流部門は「ほとんどの社内行事に全員揃って参加できない」のが当然とされてきたが、大手企業の自社物流ではそうとも言えぬ環境が整いつつあるようだ。
つまり、
「●月◎日は社内行事のために入出庫できません。恐縮ですが…」
というような文言で取引先各位に通知を出して、業務を止めることが「なんとなく許される」世相になっているという気がする。
「えっ!」という声が顧客から発せられようとも「こういう時代なので、社内での労働格差は厳禁なのです。公式行事への参加は全社員の義務であり権利とされています」と営業が平身低頭しつつお詫びすれば、それでハナシは終わる。

さらにややこしいのは「任意参加」とされている社内行事一般なのだとか。
「その最たるものは社員旅行」になるようだ。
つまり業務ではないが全従業員分の費用が計上される、、、これは「参加を前提に福利厚生費が割り当てられている」を意味し、不参加には何らかの理由が必要とされるはず。
というのはNGとされている、、、と聞く。
任意はあくまで任意であり、強制してはならぬ。不参加によって考課に不利とはならぬし、直属上司をはじめその上層にいるエライお方たちも「けしからん」や「協調性に欠ける」などの批判や叱責は厳禁。「本人が望まないのだからしかたない」とするのが正解なのだ。
(社員の積立型福利厚生については「基本的に任意」が主流となっているようだ)

「社員旅行も忘年会も新年会も全部廃止」とした会社の数を知る由もない私だが、ひょっとしたら結構な数になるのかもしれない。
以前に比して「社員旅行のため休業します」とはばかりなく通知できるようになったのに、当事者たる社員が「参加しない」とワークフローに打ち込んでくる。
その数は増えるばかりで、
「参加しないので、その日は公休扱いでよいのか」
「参加しないので、自分にかかるはずだった費用は還元されるべき」
「参加せずに出勤したら、休日出勤手当がつくのか」
などと真顔で上長に問う社員がいたりもする、、、と聞くがホンマかいな。
ホンマかいなpartⅡもある。
ホンマかいなpartⅠは「入社年次が浅くなるほど」の傾向ではなく、最近では30代や40代の中堅社員にも「時流に乗っかって」的言動が目立つようになってきた、とのことだ。
しかしもう、、、たまらんなぁ。

あくまで個人的な感想だが、もはや社員の内部的行動規範は「任意」ではなく「随意」となりつつある気がしてならない。
その先には放任や自在という行動規範が蔓延しそうな気配が濃いのでは?と老婆心ながら案じる次第だ。何人にも侵されぬ自由には何人にも依存できぬ義務や責任が必添となる。
この数年やたらに遣われる自己責任という言葉は、実際に責任を負う当事者になってみなければ理解できないはずだ。慣用句として軽々に用いるには不適この上ないのだが、その点を企業人は十二分に心得ているのだろうかと不安になる。

経営における洋の東西を混同する前に、民族史や文化史を踏まえて取捨選択するべき価値観や規範があるはずで、仕組やルールの表層だけを掬う(すくう)ような運用はいずれ大きな歪みの元となる気がしてならない。民族や組織の根本に在る気質の違いが及ぼす影響を甘く見てはならないと思っている。
他国の長所や美点を模倣することに異存はない。「いいとこどり」も大いに結構だと思う。
しかしながら元来わが国には存在しなかった特権意識やすさまじい格差の母たる結果主義や合理至上と個人主義のなれの果てを見極めた上のマネや転用であってほしいと願う。

家庭と学校での社会性教育をはじめとする大人への助走。
新企業人となった若者たちへの企業内座学研修やOJT。
企業人以外の道を歩む若者たちについても本質的な中身は同じ。
それらの内容がわが国の社会形成に大きな役割を果たすことは明らかだ。
教育が国家の基本とされるゆえんだ。

金の卵の温め方を間違えると、生まれてきたヒヨコも育てる親も苦労する。
大事に育てることと甘やかすことは違う。放任と野放図は違う。
説教くさいなぁ、と自覚してるが、各社のエライ方々の代弁をしたくなる私なのだ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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