――最後の二行。つまり「ます」にあたる。
と、掲題のひらがなで即座に反応されたなら、あなたは詩歌がお好きであるか、過去に国語の授業などで原文に遭遇したのかもしれない。
谷川俊太郎氏の「恋文」という折句をたまに思い出すのだが、今週頭の夜、久々に胸中で復唱してみた。氏の訃報を知ったからだった。
またもや巨星墜つの感に茫然とたたずむのみ。
伏して御礼、ただただ感謝であります。
谷川作品を未読の方は、何でもよいので是非一度お読みになってはいかがだろうか。手当たり次第に乱読しても、作品は山ほどあるのでしばらく楽しめると思います。
固まった何かが柔らかくなったり、がんじがらめになった何かがゆっくり解れはじめたり、張りつめて切れそうになっていた何かが弛んで楽になったり、、、するかもしれませぬ。
なんてこと書いていると、ムカシバナシが脳裏に浮かんできたりする。
30代前半から40代半ばあたりまで、周囲からは「鬼のような」「厳しい」「怖い」「事務所に入ってくるだけで空気が変わる」などという表現で評されることが多かった。
しかしながら当時の自身は大いに不本意だった。
相手の時間を極力削らぬよう、あたりまえのことを無駄なく伝えているだけ。いつだって真剣に熱意をもって話しているのに、「厳しい・怖い・冷徹」などの望まぬイメージが先行する――「どうしてなのだろう?」という戸惑いに苛まれ続け、そのあげくに行き着くのは憤りと虚脱が入れ替わり見舞った後の無力感だった。
「自分がおかしいのだろうか?」という猜疑心に苦しむことが多かった。
当時の「外でのこと」はもはやぼんやりとしか思い出せないが、内心では自分自身のことをまったく評価できず、毎日毎度自己叱責や自己嫌悪の連続だったように記憶している。
己を慈しんだり労ったり褒めたりできない自己愛欠落によって陥没したままの暗い穴。その底でいつも何かに追われいるが、はたしてどこに向かっているのかはよくわからない。
そんな人物を周囲の他者が異物感や畏怖の対象としてしまうことは無理もない――ということすらわからなかった未熟者。(今でもあまり変わらないが)
私には起点となる「自分」がなかったのだろう。起点がないのだから走っても歩いても跳んでも這っても、「どれぐらい進んだのか」が自他ともにわからない。
なので自身では「あれもこれもぜんぜんできてない」、他者からは「いつも忙しそうだ、ということ以外はよくわからない」となってしまっていたのかもしれない。
そういうことを誰かに相談することができない性質もよろしくない。
齢を重ねつつ、あれやこれやと考えた果てに行き着いたのは「自己評価が苦手。相手に対する敬愛や好感や思い遣りを正面切って言葉にするのはもっと苦手」なのだから、折句のような含みと下敷きを忍ばせた会話や気配りを心がけようとしたことだ。最後まで回収されないままに終わった伏線もたくさんあったが、残念さや物足りなさを感じることはなかった。
誰も気づかず、誰にも伝わらず、誰も知らぬまま、で終わってもよい。
行動や言葉の中に「ほんとうのこと」を必ず忍ばせておく。
いつのまにかそれを自身の掟とするようになっていた。
あくびがでるわ
いやけがさすわ
しにたいくらい
てんでたいくつ
まぬけなあなた
すべってころべ
読者諸氏も「ほんとうのこと」をきっとどこかに潜ませているはず。
寒気到来の候、ささやかなぬくもりを感じていただければ幸いであります。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
ご相談・ご質問等ございましたら、
お気軽にお問い合わせください。