物流よもやま話 Blog

視野狭窄と単眼化にご用心

カテゴリ: 予測

先月の健康診断メニューにあった眼底検査で疑わしき結果が出たため、眼科で精密検査を受けてきた。要は「緑内障の疑いあり」を改めて精査したのだが、結果としてセーフだった。
医師の説明によると、視野狭窄もなければ、視神経の圧迫もない、、、ではなぜ検診でひっかかってしまったのか。

「視神経乳頭部の変形が先天的にあるようです。その影響で緑内障初期と似た画像となっているために、精密検査の要ありとなったのではないかと思われます」

またもや「他人様とちょっと違う持って生まれた異形や変形」が確認されてしまった。安堵しつつも「なんだかなぁ」とため息ついた次第だった。

緑内障が杞憂に終わったことへの安堵の後、やり場のないモヤモヤ感が胸に渦巻いて不愉快この上なくなったのは自分でも不思議だ。
しかしすぐに得意のコジツケ展開マインドが高まり、視野狭窄や単眼的で一側面のみからの切り取りに終始しがちな「近未来物流」とやらの危うさやハリボテ的な軽薄さにも毒づいておきたくなった。というわけなので、不機嫌に任せつつ手短に書いておく。

ここ数年の物流機器やシステムの改新は目覚ましいが、もろ手を挙げて何でもかんでも賛成という気になれない、、、は従来の拙稿にあるとおりだ。
わが国を筆頭に少子高齢化する国々では、労働人口の先細りは不可避の現実であり、そのしわ寄せが最初に見舞うのは物流や製造などの現場労働力である。
だからといって人依存を後ろ向きに論じる風潮は浅はかで短絡に過ぎる。省人化という表現を慣用的に使うのはやめて、あくまで減少する労働力の補完を担う利器という位置づけのもとに表現した方がよいのではないかと思っている。

そもそも若者が減り、年寄りが増えるばかりの国々にたいそうな物流機能が要るのか?という根本的な疑問を掲げての考察自体があまりにも少ないのは奇妙この上ない。
物流は消費の子なのだから、消費の母たる人口が減少する国での内需物流は閑散化と縮小化の道をたどることなど自明の理。
利便性や機能性を向上させることに異議はないが、猫から杓子まで十把一絡にして、頭か尻尾に「機械化」「自動化」を貼り付ける論の多いことには呆れるやら情けないやらでしかない。
現場を知らぬゆえに発想したり、常識とされるものにとらわれずに企画することは必ずしもマイナスに作用するわけではない。しかしそれが現場に生きる人を否定したり苦しめる末路につながるかもしれぬハナシならば、始まりの時たる今の時期に徹底議論して、「これから起こるいろいろなこと」の検証をすべきだ。

もっとも、人間の働く場所を狭めるような合理化や省人化を出口とする装置産業を理想的な物流現場とするのであれば、これ以上の言葉は虚しいだけである。
企業が欲しいのは「より安い労働力」である事実を変えることは容易くないが、その労働力コストを機械装置と競わせるという幼稚で短絡に過ぎる思考回路は廃棄してほしいと切に願う。
コストカットの地獄絵の中で生き残り、見回せば競合他社は皆倒れて勝者となった企業。それは激甚な天災に見舞われて壊滅状態の地域にあって、堅牢な要塞のように機能している物流倉庫と同じく、何のために生き残ったのかを問われる日が訪れるだろう。

戦いや天災が生んだ荒野。市場強者とか先進堅牢などを最善とした輩たちは、見渡す限りの荒涼とした地で、唯一生き残って、いったい何をしようというのか。荒野と化す前にすべきことはたくさんあるだろうし、その中身も皆わかっているはずだ。共存共栄という言葉のもつ意味を今一度考えるべきなのは市場参加者すべてに共通することではないかと思う。

毎年人口減少する日本。かたやで人口爆発して深刻なエネルギー・食料・住宅、そして教育や福祉などの諸問題を抱えるアジア・アフリカ諸国。「深刻な問題」であることを憂いながら、心のどこかで羨ましく眩しいと感じてしまうのは私だけなのか。
物流に限らず、先進技術は成長発展目覚しい国々でこそ活かすべきだということぐらい皆わかっている。ジャパニーズ・ビジネスマンには、それらの国々に赴いて、かつての技術立国だった杵柄で、日本ブランドの餅をたくさんついてきて欲しいと心底願う。
わが国のバブル幻想時代のように「24時間働けますか」とは誰も訊かないので、じっくりしっかり腰を据えて現地で活躍してほしい。

「腕におぼえあり」ならとっとと戦場たる成長市場を抱える諸国に出向くべきだ。
国内はわれわれジジババが留守番しているので、若者たちには一刻も早く漁場に漕ぎ出してもらいたい。母港が日本にあることだけは忘れずにいてほしいが、在留期間の制限やそれ以外の帰国事由が無いなら、ズーっと帰ってこなくてもいいのではないかと思う。
個々の価値観にもよるが、物流の母たる消費を生み出す人口が減少する国での内需型労働には大きな変革や改新は必要なく、工夫や制限や共用などによる妥協や我慢を不平や不満に置き換えない感受性や思考の変質が要求される。
したがって、若者たちの権利である天真爛漫さや奇想天外さは四方八方で壁や天井にぶつかってしまうだろう。広大で天井の視えない場所で縦横無尽に奔走して生きるのもひとつの選択肢として残しておいて欲しい。

いかなる時代のいかなる場所であろうと共存共栄は世界標準。
そう信じている。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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