物流よもやま話 Blog

多摩川園のランチとみつごのたましい

カテゴリ: 余談

今週は強烈な寒波が南下しているため、全国的に寒い日が続いている。
夜明け前から7時ごろまでは冷え込みの底となるので、暖房なしでは過ごせない。
各地から降雪の報が届いたりするたび、災害や事故の発生を案じつつながらも、師走らしい風情を想ってどこか嬉しい私である。

やはり冬は寒い方がそれらしいとつくづく思う。
かたやで窓を閉めたままの暮らしはウイルスの感染激化につながるのではと気がかりだ。
いくつかの国でようやく始まったワクチンの投与だが、日本国内で全国民にいきわたるにはまだ数か月かかるのだとか。
それまでは、爆発的な流行の手前で抑え込んでおきたいと切に願う。

12月になると思い出すのが、学生時代によく利用した洋食屋のことだ。
残念ながら今はもう無い――店舗どころかその一帯の建物をふくめた大部分の景観が再開発によってまるっきり様変わりしてしまった。そういうハナシは挙げだしたら限がないが、たまの東京や神奈川出張の際には、
「京浜ベーカリーのランチ食いてぇなぁ」などとつぶやいたりする。
そしていつも浮かぶ映像は、寒風に辟易しながら店の引き戸に手をかける自身の後ろ姿だ。
なぜか食べている場面より、駅を出て店に入るまでの短い時間ばかりが繰り返されるのは毎度のことで、当時の東急電鉄・多摩川園駅(現在の多摩川駅)を出たところから見える洋食屋までの光景が褪せた静止画となって背景にある。

店は相当な築年数の棟割り長屋風建物の一角に在って、中も地味で古い。かといってレトロで味があるというわけではない。単純に貧相で古びているという説明が適当だと記憶している。
味についても、そこそこうまいが、絶品というわけではない。
しかし私のような貧乏学生にとっては550円で腹がふくれ、ハンバーグやアジフライやクリームコロッケの盛り合わせが日替わりで出される店の存在はありがたかった。
皿の端に添えられるぶつ切りに近い塩もみしただけのキュウリがうまくて、大盛ライスの最後には漬物代わりに嬉しくいただいたものだった。
昼前の開店から終日提供されるその日替わり定食の名は「ランチ」だった。

その日も隣駅にあるケーキ屋の喫茶部でのバイトを終えて、いつものように腹ごしらえに京浜ベーカリーに立ち寄った。店の先にある富士見坂を上り切って中原街道に出る手前に、高校時代からの先輩が住む学生アパートがあり、そこを訪ねる前にはけっこうな頻度で京浜ベーカリーに立ち寄っていた。
クリスマス前ということもあって、バイト先の高名なケーキ屋は売店も喫茶も大忙しだった。
朝から入って、何百杯ものコーヒーや紅茶、フレッシュジュースなどをひたすら作り、早番の上り時間である17時に店を出るころには、雪が舞い始めていた。身を切るような寒風が時折吹くたびに、安物の薄いコートのあちこちから侵入して身震いがおさまらないほどだった。

店に入ると、先輩と同じアパートに住む顔見知りの上級生が「ランチ」を食べていた。
来春に卒業を控えた4年生のAさんとはたまに先輩の部屋でマージャンをすることもあって、親しくしてもらっていた。
テーブルに同席した私が料理を待つ間に、Aさんは私の近況について尋ねてきた。

「今2年だっけ?就職先の希望みたいなもんを考えているのかい?」
「いえ、まだぜんぜんです」
「なんかしたいこととかないの?」
「うーん、、、とくにはないですね」
「そうかぁ。まぁそのうちできるよ、きっと」
「Aさんはどうして銀行を選ばれたんですか?」
「地元で就職するって、なんとなく高校生ぐらいから決めてたんだよね」
「自動車部ですよね。てっきりトヨタやらホンダに就職されるのかと思っていました」
「たしかに豊田市は実家から近いし、鈴鹿もたいして遠くないから、馴染みはあるけどなぁ」
「はい、だからこそと思いました。体育会の方はどこでも内定取れるでしょうし」
「そんなことないよ。俺はずば抜けて成績悪いもん(苦笑)」
「成績を気にするのは銀行ならなおさらかと思いますけど」
「地元の地銀だから、都銀ほどではないみたいだよ。地元の中小企業を回って、コツコツゆっくりと仕事をするのが俺には向いてんだよ、きっと」
「そうなんですか。意外です」
「H(私の高校の先輩・3年生)はどうすんだろうな。この前もそんな会話をしたんだけど」
「さぁどうでしょうか。そういうハナシはまったくしないので」
「そうか。ああみえて堅実だろうから、きっと大手のいいとこを受けそうだな」
「なんてったって名門〇〇ゼミですからね。就職活動では圧倒的有利です」
「ほんとだな。みんな顔つきが違うもん、あの手のゼミは」
「あははは、ホントにそうですよね。じつはゼミも悩みの種なんです」
「無理に入んなくてもいいんじゃないのか」
「でも、ゼミなしだと就職のときに困るとか聞きますけど」
「そうなの?あんまり関係ないんじゃないの?」
「Aさんは最強の就職ツール「体育会」をお持ちなので、庶民の事情にはうといんですよ」
「そんなことないよ。思ってるほど武器にはならんかったからね」
「・・・・・」
「なんか俺が勝手に思うんだけど、君はメーカーが向いてるような気がするよ」
「…………あんまりイメージわかないです」
「そう?それこそトヨタやらホンダなんかピッタリだと思うけどね」
「そうですかぁ?すぐにクビになりそうだけどなぁ」
「うちの部の先輩にも鉄鋼や機械メーカーやら自動車会社に入った人は多いんだけど、どこか共通するもんがあるように感じるんだわ」
「共通するもん、ってなんですか?」
「えぇっとね、うまく言えないんだけど、たぶん頑固さみたいなもんだと思う」
「じゃあ、向いてませんよ!優柔不断だし飽きっぽいしいい加減だし」
「そうかなぁ。向いてると思うけどなぁ」
「無理ですってば」
「あはは、そうか。まぁ4年までにゆっくり考えればいいんじゃないか」
「はい、ありがとうございます」

そのあたりまでしか会話の中身を覚えていない。おそらく注文した「ランチ」が運ばれてきたのと、食べ終えたAさんが先に店を出たのだと思う。

Aさんは学内でもひときわ目立つ短髪精悍な色黒の美形で、180センチをゆうに超える細身の体躯に長い腕と脚はまるでモデルや俳優のようだった。亡き菅原文太さんや根津甚八さんの若き日の写真を見るたびにAさんを思いだす。
卒業されて地元に戻られたあと、一度だけお電話でお話ししたのを最後にやり取りは途絶えてしまった。ご住所ぐらい訊いて(ひょっとしたら知らされていたかも)、たまには手紙のひとつでも書くようにしておけば、今も繋がりを保てたのだろう。しかし万事にいい加減な私は、相手を問わずそういうことをほとんどせぬまま過ごし、今に至っている。

われながら呆れるやら悔んだりやらなのは、Aさんに限らず、学生時代の諸先輩方とその後のお付き合いをしていないということだ。無精者の極みであり、礼節という点でもいただけぬ。
年に一度二度ぐらいの葉書や電話、最近ならEメール――などが鎹(かすがい)となる「淡いまま長く続く関係」ということのありがたさに気付かなかった。
若さだけが原因だとは思えない。
なぜなら、30年以上たった今でもそういう気質はあまり変わっていないからだ。

「ランチ」を前にしての何気ない会話が脳裏によみがえるようになるのは、その後5年ほどたった頃からだったように思う。
私は今でも「ものづくり」に対する尊敬や憧れが人一倍強い。
それは世の中で多少もまれ、仕事の何たるかも少しわかり始めた途端に自身の本質にやっと気づく、というお粗末さを思い知った頃から今に至るまで続いている。
Aさんの言葉は的を得ていたのかもしれないが、人は一度だけしか生きないゆえにタラレバでハナシを綴ってもむなしいだけだろう。
――ヒトのハナシはきくもんだ。――評価は人がするもんだ。
したり顔でそんなセリフを吐くくせに、それができていない最たる存在は自分自身だ。

ただ、「怪我の功名」という言葉もふところに忍ばせている。
ものづくりに直接携わることは叶わなかったが、それを支える仕事には就けている。
浅はかながら厚顔甚だしく身勝手に前向き、、、甘んじて認める。

ふところに忍ばせたもうひとつの言葉は、
「三つ子の魂百まで」
だというオチは、読者から総ツッコミが矢のごとく降りかかってきそうだ。
おっかないのでとっとと退散いたしまする。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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