物流よもやま話 Blog

今月はEC物流特集 ‘ WEBとECと物流と ’

カテゴリ: 余談

この数か月、日本国内と海外のたくさんのWEBデザイン系サイトに掲示されている。
弊社WEBを閲覧してくださる方が増えるのはありがたいの一言だが、必ずしも物流ニーズではないところがちょっと寂しい。
ただ、その先にいるクライアントに物流改善の必要があれば、弊社のことを思い出していただければいいな、なんていうことを淡く期待している。
北海道から沖縄までどこにでも赴くつもりであります。(出張は大好きなのです)

「WEB関連の企業数は想像以上に多いのだろうな」
が驚き混じりの実感。
国内企業のアクセスだけに限っても、ほぼ24時間に分布する。
「だれがどこから見に来ているのだ?」と何度もつぶやいた。
デザインと構成に興味をもっていただいての閲覧なのだろうから光栄の一言だが、「それにしても多いなぁ」が本音。
私もたまには業界他社の動向などを知るため、WEB等を閲覧しつつ勉強せねば、と思うまではよいのだが、そこからが・・・今年はちゃんとしよう。

ふと考えたのだが、ECサイトを運営する事業者の「実数」はどれぐらいなのか?
おそらくは想像以上だろうし、今後も増えてゆくに違いない。
「たくさんできて、たくさんなくなる」ことを繰り返しつつ、総数は微増を続けそうだ。
ECサイトの制作に携わるWEB関連会社も同様な動きをしつつ伴走する。
デザインだけでなく、内部の各種システムや仕様の変更などの付帯業務も膨大にある。
場所や規模などの立地や物理的要因に左右されにくいWEB制作事業者とそのクライアントとなるECショップは、一蓮托生の関係を保ちながら今後も進むのだと思う。

では物流関連の各社はどう向き合うのか。
特に倉庫運営する物流会社は。
EC向けの宣伝広告にコストをかけて、問い合わせを受ける。
おそらくだが、常識以前の内容や自己本位極まりない「本気」の一方的条件提示と対応要求、フリーメール記入で所在地・社名屋号は検索不明・電話番号なしで「一件の出荷費用を知りたい」的な問い合わせが過半を占めるのではないだろうか。

どこの誰かわからない相手に真剣な見積作成するまともな物流会社はない。
ということすら想像できない事業者も少なくない。
まっとうな物流会社は慇懃無礼な断わり文句の定番である「諸事情による見送り」の返信か、敢えて「まともなヒアリングシート」を送付する。
その手の会社から「まともなヒアリングシート」に「まともな数値記入」がなされて返信されることはない。ここでいう「まとも」とは「真剣、本気、誠実、懸命」などの空気が感じられる、という意である。
たとえ数値のつじつまが合っていなくても、真剣に作成されたヒアリングシートは一目瞭然。
プロである読み手は電話なりメールで丁寧な質問を返して、相手先の物流輪郭と概要を具体化してゆく。何よりもそんな企業は問合せ時点で記入項目の記述内容が違う。
そんな経験は私に限ったものではないはずだ。

WEB制作とECと物流に共通していることは、もはやそんなに儲からないという実態。
特殊や特化や特別といった言葉で意匠や技術を高単価で売り込める時代は終わっている。
私には大企業の実情が不明なので、あくまで中小規模の事業者を想定して書いている。
「誰も知らない」「誰もできない」「誰も気づいていない」
は、ビジネスの世界ではきわめて少なくなってしまった。
なので情報開示によって、漂う顧客ニーズの吸引を行い、その先からが勝負となる。
「他社に真似される」「他社に情報が漏れる」のような心配は無用ではないのかと思う。
なぜならすでに多くの他社はその情報持っているからという気がしてならない。

物流業界なんかその典型である。
というか情報戦など、どこのどなた様がやっているのだ?
あいも変わらず自己申告の出荷ミスや在庫差異のゼロや僅少誤差の誇示。
本気で自画自賛している「独自の庫内システム」。その他の自慢は営業年数と拠点数、床面積と顧客数・顧客名、台本原稿丸出しの顧客インタビュー。
数や量が多い、有名な会社との取引履歴がある。
したがって「わが社は一流ですぐれている。任せて安心な信頼できる会社」
と連想してほしい、という意図の表現なのだろうか?
物流会社が宣伝の具にするのは勝手だし、それらに反応して委託先候補の選別を進める事業者も多い。
「とにもかくにも全部丸投げ」を望むなら、事前の綿密なヒアリング時の応答が好ましく感じられるか否かや、自社の将来像の説明とそれについての相手倉庫側の反応や逆提案の有無、などを検証することも無用だろう。

すでにお気付きの諸氏も多いと思うが、一般事業会社の自社物流ではその手の理屈を鵜呑みにする必要はないし、そこから業務を捉えることは間違えている。
誤出荷や在庫差異はゼロでなくてもよい。「ゼロ」という念仏を唱えないことが商道徳として悪だというなら、ロジ・ターミナルは甘んじて悪者の評価を受ける。

念仏を唱えれば極楽浄土に行けるなどとは思っていない。
もとより「極楽」がどのような場所なのかにまったく興味はないし、三蔵法師と三匹の異形な子分達のように西方浄土なるシャングリラを望み目指すこともない。
物流現場の「ゼロ念仏」は理想郷なる幻想を追い求める物語に似ている。

「完璧」や「ミスゼロ」などという言葉を人間が汗水たらす現場の基準値にしてはならない。
経営の願望や理想を、分不相応な努力目標や宣伝道具にすり替えているだけと考える。
そのような企業は、社長やその他経営層が「私は完璧でミスゼロなのだ。自分自身の職責については完璧で間違いなどない」と宣言しているからこそ、従業員一同に「ミスゼロ」を強いることができ、顧客にもその約束ができるのだろう。

もっとも危惧すべきは、会社が命題として「ゼロ」や「完璧」を掲げたときから、「連続ゼロの記録を止めるミスは許されない」「完璧こそが至上で会社が求めるもの」という透明な掟のようなものが植え付けられる。
なぜなら「ゼロ」や「完璧」は減点型の評価しかできないため、意欲や向上心となじまない。
「決め事を守らなければ処遇が悪くなるに違いない」という個人の潜在的な保身本能。
言うまでもないが、その意識は理性や誠実から生まれたものではない。

損得勘定や自己防衛などの処世の知恵や忖度の結果として、三蔵法師の子分達と変わらぬ異形の相で心の中に強く根付く。
そして更には「こんなことは報告できない」という生活維持のための就業地位の確保に起因する、辛く不本意で自己欺瞞に満ちた歪曲や隠蔽につながる。
その本人の負った心の傷とその痛みと苦しみはとても大きい。
長年かけて培ってきたプロ意識と自尊心という自らの核を虐待している。

現実のミスゼロ念仏は、以下のような読経を延々と続けることなのだが、関与者全員がもはや麻痺してしまっているのか、日常会話のように起承転結が滞りなくまとめられる。
物流会社なら、担当者か責任者から顧客への謝罪と再発防止の方策説明。
自社物流なら直属上司への内々の報告・謝罪と再発防止案とそれを徹底する旨を誓う言葉。

「心からの謝罪と反省」を懸命に吐き出す儀式を現場責任者か担当者が丁寧に済ませて、相手が受け入れてしまえば、そこで事態は終結する。
つまりは「なかったこと」「終わったこと」になる。
「なかったこと」になる実態としては、上への報告なしに現場で隠蔽していることがもっとも多い。現場のパート従業員や事務員は処遇悪化を怖れて口外しないか、それが毎月何件かはある普通のことと常態化しているため、会社の御旗に記されている美辞麗句などまったくの他人事としてどこかに飛んでしまっている。

なによりも顧客側が「たまの誤出荷やわずかな在庫差異など大騒ぎするようなことではない」という意識であることが多いので顕在化しにくい。
なので経営層は「報告がないから万全」と思い込み、事実や実態が発覚するまで気づかない。
裸の王様さながらに社内のレポートラインを妄信し、「わが社は出荷ミスがゼロ」「わが社は在庫差異がゼロ」「わが社は顧客満足度が99%」などと胸を張って言い続ける。

「本当に誤出荷はありませんか?」
「在庫差異はゼロというローカル側の数値ですが、貴社のマスター上はいかがですか?」
「梱包のクレームや返品処理について何かご要望はありますか?」
「事務員や現場担当者、責任者の対応について忌憚ないご意見をお願いします」

中小企業相手の商売を主たる生業としている事業会社は、こんな会話を顧客の経営トップや役員としてほしい。冗長な世間話や飯を食いに行く話やゴルフなどの娯楽話の前に。
無難で耳に心地よい言葉にすがるのは勝手だが、ごまかしの積み重ねがどんな終末を招くかぐらいは想像してもいいのではないだろうか。
上記の質問を本気で顧客にして、すべて「ゼロ」などということはあり得ない。

その場で即答とは限らないが、近々に先方トップか役員クラスから電話かメールが入り、書面で箇条書きの「現状と修正要望」が提出される。
「今まで担当レベルに止めていましたが、せっかくのいい機会なので・・・」のような前置きがつく。
となるケースが多いはず。「襟を正して真摯に本気で訊けば」ではあるが。
そんな返答すら皆無なら、似た者同士のお似合いな関係としか表現しようがない。
過去記事を読んでほしいが、その真意も伝わりそうにないと唇をかむ。

故意にミスする者などいるはずがないし、適正に設計された業務フローどおりに作業すればミスは出ない。なのでOJTの徹底でほぼ正確な業務ができる。
しかし人間がすることゆえ「絶対」や「完璧」はない。
ミスゼロの月もあるし、そうでない月もあるだろう。
単純簡易なEC物流でさえ誤入荷・誤ピック・誤出荷は結構な頻度で発生する。
表面化しないのは、システムが引っ掛けてくれたから止まっただけである。
バーコードとWMS頼りの「システム依存」を「物流技術」と宣伝しているに過ぎない。

入荷予定表にその商品のマスタ登録データを入れたバーコードを印字する。
同時にロケふりまで指定できるようにシステム記述する。
誤入荷防止の基本中の基本であるが、特段難しいスキルではない。
出荷の場面なら、受注引当の指示が届けば、ピッキングリストと納品伝票には共通の明細情報が入ったバーコードを印字し、さらには送状のバーコードに紐づけてキッティングする。
複数枚のデータ印字とそのキット作業が嫌なら一体型の伝票を使用すればいい。
リーダーがスキャンした明細が違えば手元の端末機械君が教えてくれる。音や画像で。
つまりは、どこの誰でもある程度は似たような結果が出せる。
いまさら「技術」「ノウハウ」「実績」と自慢するようなことではない。

物流屋の立場から訴えるのだが、ECサイトのデザインだけでなくその他のシステムまで手がけるWEB制作会社の諸氏や、当事者であるEC事業者の皆様には、何をおいても一つだけ忘れないでいただきたいことがある。
それは事業のスタート時や途中の業容拡大による改変時に「商品マスター」の整備を必ず行うということ。

ECに限らず、物流現場の業務フローの優劣は商品マスター次第で大きく変わる。
マスター整備さえできていれば、あとはすべて合理的で効率的な物流設計ができる。
先述したようなトラブルやミスの起こりにくい業務フローが平易に作れる。
高額な費用は不要。複雑な仕組も不要。熟練者や高度な技術を持つ者も不要。
逆にいえば、商品マスターに不備があれば、高額な費用と高度な技術と熟練者をもってしてもタイトで簡潔な業務フローの構築は難しい。
最短距離の直線的な業務は商品マスター次第であるという事実をご認識していただきたい。

EC企業の物流業務は直線的短距離の典型。
今からの時代、内製でやるべきと思うのは手前味噌で独善的すぎるのだろうか。
場所の確保や設備、雇用などを自前で用意することに抵抗があるのならば、それは先入観が大きすぎますよ、と申し上げたい。
「とにもかくにも全部丸投げ」よりも手間がかかることは事実だが、その見返りは大きい。
自社業務の完全内製とコスト効果がリターンとして得られる。
「外食と自炊」のハナシと似ているが、現在は外食派が圧倒的に多い。
しかし徐々に自炊派が増えてくると考えている。少なくとも企業経営においては。

安くてうまい、は外食の売りだった。
では自炊は高くてまずいのか?
「面倒くさい」「やりかたがわからない」「環境がない」
そんな言葉が並んでいる。
やり方や環境を整然と説明整備する者がいればどうなのか?

「うまくてやすいおうちのごはん」を毎日食べたくなる人が増えるのではないか。
そんな気がしてならない。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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