国内外ともに「なんとなく停滞感や閉塞感が漂っているような気配がずっと…」とモヤモヤしているのだが、読者諸氏はいかがお感じだろうか。
俗にいう「世の中の空気や気配」を甘く見てはならぬ、とは思うもののつかみどころのない「なんとなく」は成り行きの明暗や高低の別が判じがたくやっかいだ。
良いも悪いも理由や原因があるほうが御しやすい。数値や傾向の明確な動きを偏りなく把握できていれば、過ぎたる悲観楽観に振り回されることはないはず。
しかしながら今までの定石が無視され、常識がことごとく覆される出来事が多岐にわたってこうも続くと、先の見通しがたてにくくなるのは当然である。
なので昨今の世の中全般を「嫌な空気が、、、」と憂いてしまうのだ。
政権批判や世界情勢の記事を見聞きするたびに思うことはいつも同じだ。
それは人々が生きてゆくうえで「自分はどうしたいのか」を自問すると同様に「わが国はどうありたいのか」を議論し、せめて目次ぐらいは定めるべきだということだ。
浮き草のごとく漂い流されてゆくような国家となってほしくない。
個人や国家を企業に置き換えてもよい。
ちなみに企業経営における組織図や人事配置を引き合いに「世界におけるわが国の位置付けや役割」を考えてみたが、即座に思いついたのは「地位の高い専門職」だった。
わが国はもはや世界経済のリーダーや国際政治の場で主幹たる立場にはならぬだろう、と感じて止まぬ。
ただし悲観や卑下は一切なく、むしろ「それこそが最もふさわしい役割であり、好適この上ない」と肯いて胸を張れるはずと納得している。
非戦非核と技術至上を国是としてほしいもんである、、、誤解無用だが、左右上下への思想的政治的偏り皆無(つまり興味がない)なのでヘンな色分けや偏見はご遠慮願う。
ちなみに高校時代から今に至るまでの愛読書はArthur Schopenhauerの全巻である、と書けばご納得いただけるのかもしれませぬ。
過去に何度か書いたが、物流技術に国境はなく言葉もたいして要らぬ。
つまりわが国の物流技術は工業品や美味安全な農水産物同様に国際ブランド化できるはずだ――と大昔からずーっと言い張っているし、これからも言い続ける。
「いつもどおり」「何も起こらない」を支えるために物流のプロフェッショナル達はいかなる時も標高ゼロの「あたりまえという名の山」を登り続ける。
という持論は世界中の物流人が肯く真理だと信じている。その「あたりまえ」をアタリマエではないほどにやり抜く執念や拘りの強さこそがわが国の蔵人の真骨頂なのだ。
5年前の春に以下のようなハナシを書いた。
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お付き合いのある各社からは厳しさを増す経営の現状を訴える声が届く。
幸いなことに、既知の経営者達は苦境にあって、ゼィゼィひぃひぃ言いながらも、やせ我慢して「大丈夫。この試練がうちを強くする」と泣き笑いしつつ胸を張る。
ただただ立派であると無言のままうなづくのみだ。
経営者の開き直りと度胸の裏地に、冷静で的確な判断の材料を縫い合わせることが私の仕事。
そして物流が自社の重要な業務であることを再確認していただく機会ともなるからだ。
「物流屋なめんなよ」
と過去に何度も唇をかんできたが、「ではお手並み拝見」と時代が手招きしている。
「ここはひとつ、、、やってみようじゃねぇか」
と圓生師匠のように鼻をすすり上げながら小さく見得を切る。
なんてことを机で練習している場合ではない。
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なんてことを述べていたが、やっぱり今でも、いや今こそ、
「ここはひとつ、、、やってみようじゃねぇか」
と見得を切らにゃならんのではないか。
明日から本気出すぞ。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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