物流よもやま話 Blog

物流現場が競う「働きやすさ」の中身

カテゴリ: 本質

近年の物流施設の進化にまつわる今さらの詳細説明は不要だろう。
特に新築大規模倉庫は、最新の空調・照明設備、食堂や休憩スペース、売店、託児所などの従業員向け福利厚生面を充実させるための仕様を前面に並べての物件宣伝に努めている。
追随する既存施設も相応の改装や改築に注力しているわけだが、狙いとしては荷主の印象向上にとどまらず、従業員確保や雇用維持にまで拡がっている。

多くの倉庫現場や車両基地では、おしゃれな制服や作業着が目立つようになってきた。仕事柄いくつもの物流現場を訪問する身としては、行く先々で遭遇する‘流行り’とも思える変化にやや困惑している。特に新興企業にその傾向が強く、一見すれば物流関連とは思えぬようなデザインや色遣いのユニフォームが採用されている。
歴史ある大手物流や製造各社の昭和の時代から継承されている現場作業服やユニフォームと対照的な装いは、名実ともに若く勢いある企業のそれらしい様相として目に映る。
洗い替えまで数えれば、決して安くない費用を投じてでも、身だしなみや福利厚生的な効果を追求するのは、各社それなりの思惑や戦略が伏線化されて潜んでいるのだろう。
働く者にとっては好みの差こそあれマイナス評価にはならないはずで、従業員以外の関与者にとっても好ましいと思われる。

たびたび書いているとおり、人口動態の奇形化のピークを迎える今からの20年余りは、労働力の確保が大きな課題となる。
それを見越しての自動化や設備開発なのだと承知してはいるが、現在の画策や思惑どおりに事が運ぶとは思えない。自動化やAIの効用を享受するためには「条件」がいくつもあり、それをクリアできるのはごくごく限られた数社でしかないと予測している。
建前上は自動化や無人化・省人化を実現していると広報してはいるものの、その裏側では自動化などを維持するための補完機能をアナログで付帯させているといった本末転倒甚だしい実情が透けて見えるようで、「なんだかなぁ」とタメイキを吐く次第だ。
したがって、人の確保は今も今からも今まで以上に現場運営上の最重要事案として存えるし、水面下で低温ながらも苛烈な企業間競争の主戦場であり続ける。

そうなると「働きがい」や「職場の雰囲気」などのような抽象的で感受性の個人差に左右されがちな説明よりも、視聴覚などの体感に訴える要素の方が訴求しやすい。
無論だが、「高い報酬提示が難しい事業者」という前提条件のもとに書いている。
似たような立地や給与ならば、あとは業種のイメージと職種と労働環境次第となるはずだ。業種への個人的なイメージをコントロールすることは難しいので、仕事の内容やその環境の説明に集中しての訴求とならざるを得ないだろうし、応募者にしても関心の具体はそこに集まることは容易に想像できる。

しかしながら、仕事の中身を仔細丁寧に説明しても、応募者の就労動機に決定的な効果を及ぼすことは少ない。
空調の効いた現場や事務所、ピカピカの新しい建物と内装、従業員の笑顔やハキハキとした挨拶、美装の行き届いたトイレや洗面所、明るい照明、おしゃれで格好良いユニフォーム、充実したメニューと席数の従業員用食堂、コンビニエンスストア、託児所、仕事内容よりも取扱品や取引先企業の知名度、、、などは応募者の心に印象として強く残る。

ん?これでは新規荷主向けの倉庫見学会の時と全く同じではないか。
物流倉庫を内見した荷主候補企業の来訪者が持ち帰るのは、往々にして技術や業務品質へのこだわりよりも設備や挨拶や身だしなみの印象から延伸した想像の産物である。
「庫内の美装や挨拶があれだけちゃんとしているのだから、仕事もしっかりやるに違いない」という何の具体的根拠もない連想が生んだ信頼や期待なのだ。
従業員面接にやってきた応募者もそれに近いと考えて臨むのが無難――不本意なのは重々承知しているが、ここは忍んで結果を優先するべき。
というのは実状からズレているのだろうか?、、、倉庫責任者殿。

制服云々でハナシが盛り上がるうちはご愛敬として看過できる。
しかしそんな空気はあくまで表面的な薄い膜のようなものだと皆がわかっている。

少子高齢化が招く人口減少による消費縮小と閉塞感の蔓延。
コロナ禍が証明した「就労形態が多様化しても業務成果に影響はない」という答。
バランスよい就労者年齢の分布と適正なコスト配分によって労働量不足を補うため、という大義名分を掲げ、低コスト労働力以外を限界値ギリギリまで排斥・削減する大企業群。

最低賃金の上昇を受容する代わりに平均賃金を下げる指向は増加する一方と思える。
「働きやすさ」「働きがい」は、かつての上昇志向の拠り所だった「公正な評価と相応の賃金の連動」という定石からは説明できなくなってしまった。
「多くを望まず左右上下を視なければ、欲することも少なくなり、すなわち足りる」
これが多数派になるかもしれない。
その是非を判じる立場ではないが、自ら足りると定めることは諦めや無為と同意ではないと強く感じて止まぬ次第だ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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