モノを扱う業界ではOEMやPBによる商品調達はごくごく普通の手法となっている。
なのになぜ物流部門では自社設計による規格の業務を委託するという明確な区分けが存在しないのだろうか?
外部委託にあたっては自社の詳細な要望を伝え、それに応じた提案がなされる。
しかし、委託側が伝えている内容は往々にして答のみであったり対処であったりする。
咳が出て辛いから薬をくれと要望し、相手は相応の処方をする。
症状が治まって楽になれば「なぜ咳が出たのか」は考えなくなる。
外部から咳の出る要因を染されての症状なら一時的なのかもしれない。
では、自身に咳の出る原因がある場合はどうなのだろうか。
体質を変えなければ再び咳は出る。同じ処方では効かなくなってくる。
症状はひどくなる一方。
咳以外の病状も出始めて、、、というケースをたくさん見てきた。
「在庫が合わない。原因が判らないので途方に暮れている」
「出荷ミスが多く困っている」
「受注から出荷までのリードタイムを短縮したい」
「波動対応が上手くできない」
「配送料金を下げたい。安い契約が可能か?」
つまりは自社の望む物流を「仕入」しようとしている。
出来合いの物流業務の中から都合のよさそうなのを探し出す。
これを「物流の改善プロジェクト」としているのが一番多い。いや、ほとんどである。
もちろん提案側(受託側)は吊るしの既製品を勧めるようなことは一切匂わせない。
「お客様にはこれが一番合っていますよ」
「この内容ならご希望にそえると思います」
「一度持ち帰り、徹底的に社内で揉んでから御社に最適な提案を持参いたします」
「私の上司が業務サポートのプロなので、次回は同行の上ご提案できると思います」
「弊社に一番多いお問い合わせです。他社よりも事例が多く結果も出しております」
そりゃそう言う。
「ほとんどの新規見込み企業は、これを勧めりゃ喜んで決めてくれる」
と思っていても、出来合い風の文言は一切匂わせない。
そんなこと知ってても買ってもらえるのはユニクロや無印ぐらいのもんである。
「物流改善提案」「完全カスタマイズ」「業務の最適効率」などの言葉が並ぶ提案見積。
言外に「一点もの」「カスタムオーダー」を匂わせておいて、実は一種類しかない吊るしの袖を一センチ詰めただけとか、ボタンの色を変えただけ。
のような裏方の実態を知られるのは厳禁なのだ。
洋服なら既製でもお任せ仕立てでも構わない。
買ってみて期待と違っても、生活自体に大きな影響はない。。。腹は立つし後悔するが。
物流はそうはいかぬ。
相互理解の不整合、業務スタート後のコミュニケーション障害、約束・期待していた結果が出ない、などの契約後に出現する瑕疵は、顧客に直結するエラーやストレスの元になる。
両者の主張などどうでもよい。荷主企業の顧客に迷惑が及ぶ。
文句を言っても会議をしても、すぐには大きく変わらない。
微調整や対処策が貼り付けられるだけだ。
結果ではなく過程のみの空しいやり取り。
では、思い切って委託先をもう一回変えるのか?
服や鞄じゃあるまいし、コストや付随する業務調整を考えると現実味ゼロ。
相手の非を問うて争うのか?
委託先は協力会社として選んだのだ。本来は自社機能の一部として稼動すべきもの。
そこと争うということは自傷行為に等しい。
判断する眼がなかったのだ。
自社内で基本設計や各業務の要点と工数計算がなされ、時間換算と必要延べ人員数が試算できていれば、委託先候補の提案や見積を正しく評価できたはず。
そういう準備と素地の整った会社に提案を出せるのは一定レベル以上の物流会社。
従って契約後の相互の行き違いはほとんどない。
あったとしても軽微な調整や申合せで足りる。
中途半端な物流屋は自社より眼の利かない事業会社を探しているので、賢明で本気の事業会社と分かったとたん腰が引けて見送りに入る。ひどい場合には連絡が来なくなる。
見送ってくれたり連絡が来なくなるのは幸いだったといえる。
不似合いなお互いにとって、共に歩まないことが最善の答だったに違いない。
逆説的かもしれないが、自社に適した委託先を正しく選ぶ定規があるということは、自社でも正しい物流業務が内製化できることと同義。
箱さえあれば、求人をかけ、必要な什器備品を揃え、自社で物流業務ができる企業は、外部委託してもまったく問題ないだろう。
あくまで能力のハナシであり、物理的受容・投資勘定・ランニングコストなどの諸要因は別に置いている。
なので、能力があるから即内製化という判断にはならない。
委託でも内製でもかまわない。
よく聞くのは、
「変動費化したいので外部に」
「コストが嵩むので外部へ」
「やはりプロにお任せしたほうがよいので外部委託を」
などなど。
懲りずに何度でも書くが、事前に自社の物流業務分析と設計素案からコスト試算までの手順を経ることなく、上述の動機に従うことは大きな間違いの始まりなのだと強弁する。
求める成果が得られないことは当然の結末なのだが、それに気付き認めるところに至るのは、相当な時間が経過した後である。
正しい考察と検証なき「物流は外部に」は、その発案時にまったく想定の端にもなかった信用失墜、利益損失を生む原因の最たるものなのだ。
過去にさまざまな企業経営者に質問してきたことだが、営業や仕入や企画開発はなぜ外部に丸投げしないのか?
たとえそれが中核業務以外の一部委託だとしても、内部での事前検証や相手先の選定にはかなりの時間と慎重な確認が重ねられるはずだ。
しかし、物流は最初から全部委託ありきで進められることが多い。
顧客との出会いは営業に始まり物流で完結する。
なのに入口に会社の命運を託すべく尽力し、出口にそうしないのはなぜなのだろう。
物流は紛れもない主業務のひとつだ。
事業の土台、経営の下半身と言い換えてもよい。
経営陣は今一度じっくりとお考えいただきたいと心から願う。
しがない物流屋の傲慢な説教ではなく、切なる叫びと受け取っていただければ幸甚だ。
すべての企業が自前の倉庫を持つ必要などない。所有・賃貸の別にかかわらず。
倉庫という箱があっても、それが必要適当な物流機能を担えるか否かは別問題だ。
製造ラインがあればメーカーと名乗ってもよいのか?と同じ理屈。
工場以前にその企業独自の意匠や規格や拘りがあって、初めてメーカーと名乗るべきなのだ。
指示書どおりにモノを造るだけならば、それはメーカーではなくただの製造場でしかない。
なのでOEMやPBが隆盛してきたし、すなわちそれは棲み分けになっている。
ノンファブ、アッセンブリー。
おおいに結構だと思う。
売り物に自社の血が通っているなら、それはすでに立派な自社製品なのだと考える。
製造や仕入では様々な角度から商品の詳細を決める。そして原価設計も行う。
しかし、原価に目論見利益を積上げて売れるほど今の国内市場は甘くない。
原価企画は至極当然なのだ。
物流も是非そうあってほしい。自社で原価の企画設計をするべき。
商品同様、物流もOEMでこだわりや品質管理に注力してほしい。
項目と価格比較のための相見積とはアマチュアが用いる手法。
その対象について素人であることが本業に支障ない場合に限って有効なのだと思う。
什器や備品などはその例に漏れないことが多い。
「物流については素人で構わない」
顧客への最終サービスをそう割切る企業を私は信じない。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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