物流よもやま話 Blog

‘できない’は‘やらない’と同じ(下)

カテゴリ: 経営

―承前―

「2024年4月に物流危機がやってくる。モノが運べなくなる時代にわれわれはどうすればよいのか」というノストラダムス的「コワイコワイ念仏」の中身を解説してみた先週。
「わが社の社員や身内には絶対させたくないようなヒドイ労働条件のもと、安く速くモノを運んでくれる都合のいい運送屋の従業員の働く時間が減るので非常に困っている」
というのが、自社物流を有する荷主、もしくは荷主の物流業務を元請けし、丸投げ先の庸車を走らせて真水に近いマージンを抜いてきた大手物流の本音ともいえる。

つまり潜在的か顕在的かは知らんが、「モノを運ぶのに高い金払うのは嫌じゃ」という意識が配送コストを判定するにあたっての大前提となっている。それは配送という業務自体にたいした価値を認めていないことの証左でもあり、その意識は運送業務に対する無知と根拠なき優越感の上に成り立っていると考えざるを得ない。
ちなみに私の関与先の物流部門や経営層に、2024年問題の根本原因を説明すると、全員が理解し、上昇する運輸コストの試算根拠に納得する。つまり「知らんかった」のまま放置していただけで、そこから先の是非など考えたことすらなかったということだ。

かたやで荷主や大手物流を弁護するわけではないが、悪意をもって下請運送事業者のコストを抑え込んでいる発注者はごく一部でしかない。
前回も書いたが、お約束的な「見積金額への出精値引き要望」ぐらいはいつでもどこでも数ラリーぐらいはあってよいではないか。つまり下請側が本気で譲らぬ下限コストを察知した発注側は、最終的に認めざるを得ないことなど解りきっているのだ。
そこで折り合うことなく契約解除などをちらつかせたりすれば、違法行為となる。そんなリスクを冒してまで運賃をけちるスットコドッコイな事業者は稀だろう。

一番多いのは「苛酷な労務環境でモノを運んでいる実走者の現実を数多の発注者は知らない」という実態、、、つまり業務コスト管理の過程での運賃見積検討には熱心で緻密だが、その見積額の算出根拠については無関心である。もちろん作成側にありがちな見積根拠についての説明不足や、安値勝負の営業スタイルが大いに作用していることも忘れてはならない。

これは運送業にとどまらず、物流業界全体にまで拡げて眺めてみてもまだ足りず、実はわが国全体のコスト体質のあらわれなのだと思う。
エッセンシャルワーカーが貴く敬意を表されるのは、外部者が「そんな労働条件で日々頑張っているなんて…」という憐憫同情の内心を伴った状態で機能評価をするからだ。
もし物流や医療・介護・教育などの現場職が得ている平均給与と福利厚生および休日数と時間外勤務、不規則出勤の頻度などの労務実態が大手上場企業並みだとしたら、上述の敬意や憐憫は違う感情にすり替わるだろうし、そもそも現在のような人手不足は緩和されるに違いない。

「高い物流サービスは嫌なのだ」という単純で根深い深層心理を変えなければ、物流業界の人材不足は解消されない。それと併せて、業務集約や競合者協働、時間猶予と重複業務の解消などで総労働時間は一定の削減ができるので、結果として必要人員数を減らすことができる。
しかしながら効果的な合理化や業務工夫を行える人材が得られるような業界体質でなければ、実現したい理想や素晴らしい計画も絵に描いた餅で終わってしまうだろう。
平たく言えば、身内や縁者に薦めたいと思える業界となることが、物流危機たる人材不足解消の基本となる。

高齢化と若手人材の圧倒的な不足によって、すでに先細りが始まっている中長距離の幹線輸送を担うドライバー数。その職能者たちの労働環境と報酬体系の世間並水準への修正は待ったなしなのだ。即座に導入して運用開始、一定期間後に修正、というサイクルに持ち込むべきだ。
可処分所得と可処分時間のバランス維持と厚遇化が肝になるのは倉庫業務と同じなので、そこでの出し惜しみや無駄な議論などの足踏みは厳禁である。

個配便に代表される最終配達分野については、まずは働くに際し提示されるヘンテコリンな契約文面と報酬制度を見直し、雇用と委託の別を明確化することが最低条件。
契約種別ごとの労務規約や報酬体系を他業種の作業労働やルート配送業務の水準よりも上に設定することで、人材獲得の最低ラインは保持できるはずと予想している。
蛇足ながら、女性ドライバーの採用を重点強化し、高齢者雇用も同時進行で行うことは不可避条件である。それを呑めない事業者の将来は暗い。

俗にいうラストワンマイル配送分野における女性や高齢者を含む未経験者の採用については、配達ルートのナビゲーション機能と安全機能が装備された車両の導入が必須要件である。
大型もしくは特殊車両では必要とされる運転技術の高度化や熟練性の評価などの属人要素は排除したうえで、人材評価と育成を管理者が心がければ、求人広告の文面も変わる。
採用広告が変われば応募者も変わることは当然の因果である。そして明日から各職雇用の実態を広報すれば、来月から問題の根本は解消し始め、来年には他業界並みの人材不足・労働力不足に至るはず、と確信している。
つまり「働きたいと思う職業」としての最低条件を整備することで、他業種との人材獲得競争のスタートラインに足並みを揃えることがやっとできる。

「世間様並み」がクリアできたら、その次は「職能評価の見直しと報酬加算」である。一例として取り上げるならば、大型車両の職業ドライバーが有する運転技術には驚異的であったり、称賛に値する要素がいくつもある。
大型車両の運転技術には普通車以上の冷静さや慎重さや忍耐力、さらには予見能力が含まれていることも見落としてはならない。特に長距離の長時間運転ならなおさらとなる。
なので「世間一般の給与水準+職能加算=平均以上の報酬体系」となって然りなのだ。何も大型トレーラーの運転を実際にやってみなくても、想像すれば理解できるはずだ。

ほんの一例に過ぎぬが、ドライバーがサイドミラーとバックモニターのみで、10tロング車を切り返し一回で、幅のない通路に収める終始を目にすれば、「おぉ~。すっ、すごい」と称賛の言葉を漏らすだろうし、私などは目撃するたびに拍手してしまう。(本当にしている)
幹線道路や高速道路で経験された方も多いかと思うが、少し前に抜き去ったはずの大型トラックにいつにのまにか追いつかれ、また引き離したにもかかわらず、やはり先の信号待ちでミラーをみれば、背後に見おぼえあるトラックが、、、というのはよくあることだ。アクセル・ブレーキのムラが少ない安定走行のなせる業なのだが、それには先述した冷静さや予見能力に加え、忍耐・持続の自制心が求められる。少なくとも私には務まらぬこと間違いない。ゆえに称賛する気持が大きくなるし、大多数の職業ドライバーには敬意を抱いている。
車庫から出発して積地経由で数百キロを予定時間どおりに走行、荷下完了後に復路積荷があるなしにかかわらず、往路と同じか別ルートをやはり数百キロ走行。無事故・無違反は当然として、適切なハンドル操作と安定走行による積荷保全を長時間・長距離通して維持。
したがって高給優遇であることに疑問や違和感を抱くことはない。

というようなハナシを事業者個別ではなく、国交省や全ト協やメディア各社が報じればよい。
下請け法違反の実態を判官びいきのごとく取り違えたままの「荷主企業が横暴なのだ」的攻撃や、物流危機を恐れ嘆き案じるあまりの煽情的に過ぎる発言では何も解決しない。
実質失業率の高い国なのだから、人口減少下でもやれることはたくさんある。
「できないはやらないと同じ」なのだ。悲観論を垂れ流して散らかすばかりの会議やセミナーはそろそろ終わりにして、各事業者はすぐにでも労働環境の改善に着手するべきだ。

荷主の理解が不足しているとか、値上拒絶の割合が高いとかがまことしやかに公表されているが、そんな悪質な荷主はたいして多くないことも付け加えておく。

「いやいや、値上げは困ります。なんとか猶予していただけませんか」
ぐらいは荷主に限らず、払う側ならどこのどなた様でも一度二度は言う。
商売人なんだから、
「はいそうですか。喜んで値上げを認めさせていただきます」
とは言わん。
当たり前の遣り取りであるし、一度二度の値上げ申出に色よい返事がないからと言って、
「うちの顧客は値上げ拒否だ」
と真に受けるのは短絡で稚拙に過ぎる。交渉は粘り強く丁寧に繰り返しが基本だろうに。

運送業者自らが安易な安値受注を良しとしてきたことは事実。
そのしわを働く者たちに寄せてきた経営者はもはやお役御免である。
まともな経営者が増えれば、物流業界の労働力不足は必ず改善・解消に向かう。

人間を不幸にする仕組は必ず廃れる。
歴史を読めばすぐにわかる。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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