物流よもやま話 Blog

物流費が高騰しているらしい

カテゴリ: 実態

誰もが食傷気味なのは承知しているが、値上げ関連のハナシを短く。
春先以来の全方位一斉値上げによって個人も法人も出費増一色だ。
おまけに今夏も酷暑で、高価な電気がたくさん必要になるようだ。今から節電警告を発しておかねばならぬほどひっ迫が予想されており、「金を出しても電気が買えない事態になる」という危惧を皆々抱いておくようにというのが先日リリースされた政府広報だった。

えげつない被害と数多の機能停滞をもたらす夏季の天災について書くようになって久しい。
台風やそれに近い低気圧の発達による暴風雨災害は御免被りたいが、人間が望むように自然は動かない。だからこそ崇拝したり畏れたりする対象とされているのだろう。
疫災弱りの国情に物価高の苦境が降りかかり、さらに天災が見舞えば、泣きっ面に蜂どころの惨状ではなくなる。原材料費や光熱費さらには人件費の高騰により物流費が上昇の一途、、、とメディア上での「実態」報道をよく見聞きする。コスト上昇は疑いないところであるが、事業者が右から左に価格や請求に転嫁できているというわけではない。
あまり疑いたくはないが、切迫困窮を装い、単なる便乗値上げを目論む輩が方便として多用していることも多いと思っている。
否応がなく突きつけられる自社コスト上昇はもはや吸収不可能。しかしながら「理解しているが全部が全部承服できない」と価格抑制を強く求める顧客。足もとからせり上がり続ける物価と得意先の板挟みとなって苦しんでいる物流事業者や荷主企業が最多層にあたるというのが赤裸々な実態であると肌で感じる次第だ。

わが国では総物流コストを額面通りに値上げできることなど極めて稀である。確かに最低賃金と燃料の上昇分を五円単位で反映する程度の微々たるかさ上げはなされているにしても、総額まで項目行が下がる過程での現状維持か値下げ圧力の方がはるかに多いと思う。
なので企業広報にある「原材料および物流費の上昇を転嫁せざるを得ず」とは、自社手配の運送コストの上昇分のみ、もしくは輸入業務に限った理屈であるはずだ。しかもそんな最低限度の理屈でさえ、余すことなく実行可能なのは大手企業もしくはカテゴリーキラーとして一定の地位が認められている企業に限られたハナシであり、その他大勢の事業者は内部でのマークダウンと吸収による一部負担を余儀なくされている。
最低賃金上昇分と製品原価の上昇は等しく事業者が負担せざるを得ない不可抗力だ。
そしてそれを埋め合わせるための的として、物流コストには白羽やら黒羽の矢が雨あられのように降り注ぐ。原価上昇は全部門・全機能に同様、は道理のはずだが、一般論では無理とされている「理由なきコストカット」という乱暴が物流機能についてはまかり通ることが多い。

「無理が通れば道理引っ込む」の被害がもっとも大きいのは、高騰する燃料費の影響をもろにかぶる中長距離便の輸送コストなのだが、読者ご承知のとおり、公取に叱られぬように「需給両者の協議による相互理解」の上でのコスト上昇抑制や経営努力による現状維持が専らとされている。「相互理解」が叶わぬ場合、荷主側は叶う相手を探すのだろうし、相応しい相手はすぐに見つかることが多い。
なので現在の請負者は一生懸命理解しようと努めるのが常である。

コスト抑制の基調を変えるのは容易いことではない。
社会構造・産業構造を変えないと企業コストや消費単価の上昇は実現しない。安い給料と安い物価の後先論を打破するイロハのイは消費拡大なのだが、平成以降の歴代政権はいずれも実現できていない。限界まで金融緩和して凌いでいるものの、反転する兆しは全く見通せないまま何年も経った。
停滞や膠着状態の打破にはもっと先鋭的な戦略が必要なはずだが、精神論的なかけ声に終始している感が否めない現状では、即効どころか兆しを見出すのも無理だろう。
ならば思い切って発想転換し、「可処分所得は現状レベルを維持することで満願」という努力にとどめ、在宅勤務比率の高水準化やNO PAY=NO WORKの徹底による可処分時間の増加を第一に置くというのはどうなのだろうか。
過去にたびたび書いているとおり、「豊かさ」や「満足」「充実」などの基準や中身を再考する「これからの幸福論」を世代間で考えるべきではないかと強く感じている。
物質的な計測結果に支配されている自己評価は痛々しさに貧しさと哀れさを伴って、行き過ぎれば滑稽でしかない。
価値観や暮らしのリズムは千差万別ゆえ、一概に好ましいと評価されぬかもしれないが、ひとつの提案として考えてみる余地はあるような気がする。

副次的であるが、時間の余裕は物流にとって何よりの好材料となる。最大の効用は無理や圧なくコストが抑えられることだ。
「急がない物流」は安くあがるうえに、丁寧にこなせるので品質管理にも有利となる。
自分自身の生活圏で個配物の受け取りや業務貨物の発着に火急を要する事例が、週や月に何件あるのかを数えてみればより実感できるだろう。
往々にして「急ぎで」は人のミスや怠慢が生んだ無駄や消耗の転生物である。
ミスや怠慢を極小化する努力によって、「急ぎで」は減じられるはずだが、それは事前準備や段取りの確認徹底で容易に可能となる。
事前準備や段取りに必要なものの第一は時間である。
私が「可処分時間の増加こそが物流変革の要」といい続けている理由とは「コストは時間に置き換わるから」に他ならない。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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