物流よもやま話 Blog

もうそろそろ戻さないと、という空気

カテゴリ: 実態

疫災による制限や自粛が謳われて2年余り。
しかしながら、今春以降は俗にいう ‘ With Covid-19 ’ フェーズへと進む気配に満ちている。
どこの誰かが明確に宣言したり、政府が強烈なリーダーシップと共にかけ声を発しているわけでもないのだが、私の行動圏や見聞きする情報ソースでは「どうもそんな雰囲気が強まっている」という気がしてならない。
マスクのない生活をしたい、家族と出かけたい、知友人と会食したり趣味を楽しみたい、県外ナンバーへの警戒や後ろめたさなど無用、、、人それぞれに想いはあるのだろう。

最近気づいたのだが、NHKの番組では、複数人が集うバラエティや旅番組でも演者がマスクをしていないことが増えた。衝立などの仕切りがあるスタジオではなく、市街地などでのロケ番組でもマスクなしの画が頻繁に流れる。屋外収録番組に限って書けば、民放のほうがナーバスだと感じる、、、あまりテレビを観ない私の感覚なので、大いに偏りがありそうなのだが。

訪問先の物流倉庫では、どこでも厳重な検温・アルコール消毒・不織布マスク必着などの措置が継続しているが、世相の推移次第では少し変化がありそうだ。
眼鏡使用者にとってマスクは仕事の障害になるし、夏場の熱暑時にはウイルス感染以上の危険を招く。レンズのくもりや呼吸の不自由さを嫌って、鼻を出したまま装着している人をよく眼にするが、もはやマスク装着の意味がほぼなくなっている。と書いている自身も、たまに鼻出し状態でスピーチしていることもあるし、人気がない場所ではあごマスクしたり、外して指にぶら下げている始末だから、ぜんぜん他人様のことを言えないのだ。

求めるのは一定の収束であって、完全な終息を目指す必要はない――そう納得するべきと考えているのは私を含めどれほどの比率になるのだろうか。
既往症のある者が、他の病を併発して重症化したり、時には救急対応を要請する事態に陥るのは、今回の新型ウイルス罹患に限ったことではない。診療区分を何類にするべきかなどと議論が交わされているようだが、緊急時なので既存の枠に収めようとせずに、別枠で時限立法的に新設してしまえば済むのではないかと素人考えが浮かぶのだが、既存分類に手を付けようとしない頑なさの理由がよくわからない。
きちんとした治療薬が流通するまでの間、自覚症状のない、もしくは軽微な罹患者は、自宅療養で一定期間を過ごして、その後に最寄りの病院で再診して検査。それで陰性化していれば社会復帰すればいいのでは?と毎度思う次第だが、このような考えは不見識なのだろうか。

「止める時より動かす時のほうが難しい」
は、製造現場や物流倉庫の常だが、世の中の仕組も同様ではないかと思う。
停止している期間が長引くほど、再稼働時の点検項目やトラブルの種は増えるに違いないし、最大の要点は「もとに戻す」という過程が、来た道を引き返すような単純反復経路でなせるのか否かが不明だというところに尽きる。
観光や飲食関連の事業者に限らず、変異変質してしまった市場環境への順応体制が、回復期にあっては手枷や足枷になる、というのは杞憂に終わってほしいと願う。
今やよくわからなくなってしまった「普通の暮らし」を求めながらも、その普通とはどういう中身であればよいのかを突き詰めて考える時、即答できない自分自身がいる。
人々の暮らし方を理解しなければ、物流の仕事はできない。
ここにきて原理原則を再定義するという命題が目前に浮かんでいるようだ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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