物流よもやま話 Blog

誤ピックとテレコと激しい故意

カテゴリ: 余談

えらそうに物流業務のハナシをしているが、自身はかなりものぐさでおっちょこちょいだ。
だからこそありがちな不首尾や怠慢の類が手に取るようにわかる、と常々言い張っている。
こっそり共感していただける読者もいるはずだぁ、、、なんて思いながら書いております。

現場のミスは何も障害がない場面で起こることが多い。平らな地面でつまずくようなものだ。
尋常ではない連続繁忙だったり、イレギュラーの大波に見舞われたりしたときには、管理者が現場に出張って陣頭指揮をとるし、作業にあたるスタッフも用心してかかる。
終始追われるように仕事をした割には、ノーミスで終わることがほとんどだ。

私など、何もないはずのフローリングでコーヒー片手になぜかつまずく。またはくしゃみが我慢できなかったりする。
いずれにしても、その直後には雑巾で床をせかせか拭いている。
特段考え事をしていたわけではない。そもそも一日のほとんどは何も考えていない。
仕事する際には机の上にコーヒー(牛乳たっぷり)と緑茶の両方が置いてある。
湯呑やカップが空になれば、おかわりを淹れる。
で、コーヒーに牛乳、のはずが、緑茶に牛乳をドボドボ、、、のような感じ。
卵焼きを作ろうとして塩をふるつもりが、なぜか七味唐辛子を景気よくパッパッと。
みたいなのは書出したらきりがないほどある。
私の私生活はテレコと誤ピックとうっかりに満ちている。
というハナシはどうでもよい。

現場でも似たようなことは頻繁に起こる。
誤ピックや送り状のテレコ貼り、勝手にキットばらし、勝手にトータルピック、勝手に作業台での種まき。
「挙句の果て」というバス停で待っていたのは複数にまたがる誤出荷。
どこかでズレたに違いないが、梱包時に引っ掛けなければ止まらない。
特に怖いのは送状や同梱書類のテレコや順ズレだ。
ECなら衣類のサイズや楽曲・書籍など、広範に及ぶ各種嗜好などの機微情報に属する表示。
製造や卸売業なら下代(取引価格)が記された納品書などの書類。
――などが誤入していることを想像すれば背筋が寒くなる。相手次第では謝罪だけでは済まなくなるかもしれない。単純なミスは複雑な感情論にまで発展する可能性をはらむ。

いずれもルール無視による虚しい顛末。
ベテランのパート従業員かヘルプに入った正社員しかそんな事故は起こさない。
しかも共通しているのは「ダメだとわかっていたのにやってしまった」という点である。
故意にルールを破る者は、ルールを知り尽くしそれに慣れて緊張感をなくした者か、ルール順守をスタッフに課して管理する側の者、であることが常だ。
毎日のルーティン業務にしか起こらないことも同様。
俗にいう「魔が差す」というやつだ。

ロケーションに行って、品番確認して、一個づつ3回取って、3個のピッキング完了。
とせずに、いきなりがばっと鷲づかみで、、、次のロケに行ってから2個しかないことに気づくが、あとでもう一回寄ればいいや、、、を5件分のピッキングリストにある総計23行のピッキングを済ましたころにはすっかり失念し、そのまま梱包ラインに流して。
なんていうのはベテランのやらかしパターンの最たるものだ。
あとで寄ればいいやと瞬時に判断できるのは、現場のロケ配置が頭に入っているからこそだ。右往左往の絶えない新人ならそんなことは考えず、血相を変えて元のロケに戻る。
というか、そもそも鷲づかみせず、OJTどおりに1個ずつ3回取り、かご内を再確認するはず。

旧式のデジタルピッキング設備の現場などでは「点滅全部消し」みたいな荒業も演芸の出し物のように毎度繰り返されている。
商品のマス位置が全部頭に入っているので、ピッキングリストをさっと一目して、そのあとは全部アナログで勝負!
つまりはピッキング該当マスを示す点滅は「消さないと未ピック」となってしまうので、まずは立ち位置から手の届く範囲の点滅ランプを全部消す。
それからピッキングリストにある商品をガバっと鷲掴んで、多ければポイっと投げて元ロケに戻し、少ないと追加ピック。
そんな現場を幾つかみてきた。
その様子を棚陰から見つめる自分はまるで万引きGメンのようだっただろう。
「あぁ、あの人速いなぁ。やりそうだな。。。あらら、やっぱりか」
というような独り言の連続の記憶はまだ生々しい。

「♪分かっちゃいるけどやめられない」「♪やめろと言われても今では遅すぎた」のは倉庫現場に限ったことではなく、何かにつけて永遠のテーマなのだと思う。
激しい故意のクセに巻き込まれたら最後なのだ。

人間の暮らしや仕事場での作業からミスを根絶することなど不可能だ。
開き直りではないし、体のいい諦めを達観にすり替えているのでもない。
以前も似たようなことを訴えたはずだが、重複承知でこのまま続ける。

物流は外部者からその中身が視えにくい。
詳細な業務内容に興味を持つ者は社内外に寡少だし、説明したところで目次程度の理解しか得られないことが多い。
だからこそなのかもしれないが、わかり易い「ミスゼロ」のような看板を部門の玄関にかけたり、物流専業なら自社WEBの主たる訴求や広告宣伝の具として大きく謳う。
皮肉なことに看板やWEBにあるとっておきの「ゼロ」は、何も起こらない状態であるゼロの実現・継続時には誰もが無関心。
しかしひとたびゼロではなくなった途端に、それまで沈黙していた他部門や顧客が騒ぎ責め立てててくる。
「ゼロと言っていたではないか」
とミスが起こったことを虚言による違約と断じ、その次の言葉をさまざまに繰り出してくる。時には叱責口調で、または不信感を漂わせて。
関与者全員が沈んでゆくような虚無感にさいなまれるが、責任や対応対処や補償などを決めるまでやり取りは終わらない。

双方が気の毒だなと思う。
通常業務と同時進行で業務フローを補修しなければならない。
その手間と労力は立上げ準備以上に大きいし、感情的なわだかまりや不信の芽生えにつながりかねないことも不幸だ。

分かっていながらの「つい」や「うっかり」はなくならない。
無意識に近いルール無視や段取り変更による自損事故。
「無意識に」は免罪符にならない。それが繰り返されるならば故意と判じられる。

事故の都度、当事者は悪気のないミスやうっかりを詫びて悔いる。
しかし、謝罪の言葉によって最初に赦しを与えるのは、上司でも同僚でも顧客でもなく、当事者本人であることがたまにある。
「心からちゃんと謝った。次から気を付けよう」と内心でつぶやく。
次から気を付けても再発することはほぼ間違いない。
気を付けなかったからミスしたのではないからだ。

それに管理者が気付いていないあいだは、ミスと謝罪の繰り返しが続く。
改善を急ぐあまり、ついつい個人の能力や責任に帰結しがちだが、それは厳禁だ。
何度も「ミスできてしまう」業務フローが諸悪の根源だと言える。
そして依然として状況を変えられない管理者も、自身の職責誤認や職能不足を「不可抗力なのだ」と無意識のうちに赦している。
そのタイプの管理者に多い言動は「次から気を付けて作業するように」「集中して仕事しなさい」などの無意味で無効な指導だ。
本ブログで何度も書いてきたハナシでもある。

変えなければならないのは人なのか仕組なのか。
その見極めには管理者自身の仕事の軸を明確にし、貫く意志が求められる。
目指す山頂に至る道には、いくつかの難所がある。
迷ったり足止めされたりの連続であるが、不屈の信念と執念で挑んでいただきたい。

もちろん助太刀いたしまする。
コーヒーをこぼしたり、牛乳入り緑茶を作ったりしながらではありますが。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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