物流よもやま話 Blog

好きと嫌いと自己評価

カテゴリ: 本質

誰しも好きなことと嫌いなことがある。
というわけで、現場や会議の際に好ましく感じたり前向きに取り組めること、、、逆に嫌なことや避けたいことなどをアレコレ挙げてみたい。

まず自身については過去にも何度か書いているとおりだ。たとえば、
・悪口を言うのは好きだが言われるのは嫌い
・人に注意するのは好きだがされるのは嫌い
・質問されるのは好きだがするのは嫌い
・会話は好きだがスピーチは嫌い
・新たな出会いは好きだが名刺交換は嫌い
・作業手順を考えるのは好きだが作業は嫌い
・「頑張れよ」というのは好きだが頑張るのは嫌い
・「まじめにやれ」というのは好きだがまじめにやるのは嫌い
・「諦めてはならん」というのは好きだが諦めが悪いのは嫌い

このままだと延々と書き続けてしまいそうなので一旦停止。
上記のセリフには必ず「時として」「場合によっては」を頭につけてお読みいただきたい。
「いつでもどこでも」だと人間性を疑われてしまいかねない。
「いや、正直言うと私も、、、」という読者諸氏の多いことは承知の上で書いておりますから、カミングアウト無用です。そんなに練れて出来よい人ばかりではござんせんよ。
「べらぼうめぇ」と鼻をすすり上げて今日も現場を動かしましょう。

みたいなハナシをたまにするのだが、会合や集まりの種別を問わずウケが良い。聴き手の皆様が何度もうなずきながら苦笑まじりに見返してくださるたびに嬉しく感じる次第だ。
「仕事の際の自分はあくまで“物流物語”の舞台に立つ演者のひとりでしかない」という潜在意識がワタクシのハナシに呼応して胸中で揺れ動くからではないかと察している。
「役職や担当なりの役割を演じているだけで、素の自分とは別物」
という想いを多くの方々が内心に秘めて日常業務にあたっているからこそ、自分自身の中にある貴く濁りない「本当のこと」を守り貫けるのだろうと勝手に決めてかかっている。

役割を演じる技術が熟していなかったり拙かったりすると、自分自身の本当のことと役割が要求する責任や義務の折り合いがつかず、両刃さながらに心の中を傷つけてしまう。
なので多少の横着や怠慢や独善は役割好演に必要な薬として許してやるべきだ。
自分を守ることは現場を護ることと同じ。それぞれに今日の役割をまっとうしたら、とっとと会社を出て素の自分に戻ればよい。と、よもやまのオジサンは思うのでありますよ。
なんていう説教がましいハナシはこれでやめておく。

近年、心の不調で職場を去る人の数があまりにも多い。
心療の専門家ではないのでためになるハナシは書けないが、ワタクシが思うに自分自身に課すモノが多すぎたり高度過ぎたりしているからシンドイのではないのだろうか。
自己評価が高すぎるからこそ自分が許せなかったり認めたくなかったり。

「まぁ所詮ワシごときのやることなんだから、毎度上手くことが運ぶはずがない」
「凡庸と煩悩の塊が考えたんだから、もうひとつ・ふたつ足らんのもアタリマエ」
「だみだこりゃ、、、こまったなぁ、、、うーん、、、まぁ仕方ない。次いってみよう」
「二回続けて上手くいった、、、これはもう間違いなく次はインケツ引きそうやな」
「あんまり真面目で謙虚すぎると不幸になる」
「ものすごい一大事の時にはまずメシを食え」

これらの言葉はすべてワタクシの日常にある内心のつぶやきであります。
(最後の二行は愛読書の受け売りながら今や規範としている)
何をするにも自己評価のハードルが低い。
なので課した課題や目標は結構簡単に乗り越えられる。
結果としていつも独善的自己満足度が高いし、失敗してもあんまり落胆したり自責したりしない――正確にはマイナスの感情についても持続力がない→何かにつけて根気がない。

何かにこだわるほどの蓄積がある来し方ではない。
生まれも育ちも並みに遠く及ばない。
「たまたま」の連続で何とか生き存えてきただけなので自己評価は極めて低い。
ゆえに自分自身を責めたりもしない。
ただし物心ついて以来自分のことを好きだと思ったことはない。

ハナシがちょっと逸れそうなので仕切り直す。

毎回毎度、自らのできていないことや叶わなかったことを数えるのは自身を虐待すると同じなのだが、若手から中堅あたりの管理側にいる人たちは気付いているのだろうか。
「あの人は強い人だ」
「あの人は自分に厳しく他人には優しい」
「あの人はいつも沈着冷静で、必ず結果を出す」
「あの人は人の話をよく聞き、自分よりも他人を優先する」
こんな絵に描いた餅でしかないお手本バナシなどごみ箱に捨ててしまいなされ。
そういう評判の人から病気になったり、恐ろしい裏の貌が潜んでいるものなのだ、、、たぶん。
と凡庸低俗なワタクシは悪口とやっかみの言葉を吐くのであります。

読者によっては「過去稿と言っていることが違うではないか」と指摘されるやもしれない。
確かにプロとアマの違いを“できたこと・できていないことの数え方”で説明してきたが、併せて「プロはできそうもない事案は手掛けない」ことも添えたはずだ。
つまり勝てる喧嘩しかしないし、その見立てこそが玄人たるゆえんなのだ。

加えておきたいのは、できていないことを数え見限る玄人の厳しさと仕上がりへの執念を支えるモノは精神的な安定と自己肯定の厚い下地なのだと今一度ご理解いただきたい。
何をもって心の安定と自己肯定の源とするのかは人それぞれである。

滅私奉公ではなく公私分離奉公を心がけてほしいと願う。
「会社のことも夢のまた夢」
と思い返す日が来た時、やわらかなほほえみの貴方でありますように。

仕事場での自分は嫌いだったがそれでも頑張ってきた今の自分は好き。
そんな人がいてもいいと思うのであります。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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