物流よもやま話 Blog

モーダルシフトと時間の選択

カテゴリ: 本質

この数年来モーダルシフトという言葉を目にすることが増えた気がする。
国土交通省・環境省などの大手物流企業向けプロモーションが寄与しているのかもしれない。
とはいえ、一般的には耳慣れない言葉の類のままだと思うし、字面や音から意味や効果を連想できないことも普及が進まない一因となっている。

そもそもは1997年の京都議定書にあるCO2排出量削減目標値に端を発しているが、意図してか否かにかかわらず、今や運送所要時間(この場合は発送から到着までの時間)の選択と付随するコストの削減効果のほうが大きいのではないかと思う。
地球に優しいだけでなく、物流業者と消費者の財布にも優しい。
それがモーダルシフトの実利的な効用なのだと考えている。

運送についてはしばしば取り上げているが、「ラストワンマイル」と無理やり命名されている個配についてのハナシが多い。
つまり末端の現象や傾向についての問題点と課題の指摘がほとんどだ。
しかしながら、根本的な解決には上流の「総距離-ワンマイル=最終配送拠点までの距離」に該当する既存の物流インフラを変える必要がある。
それは販売者と追従する運送業者が過度に提供してきた即時性の緩和につながってくる。
まさにシフトチェンジによるエンジンブレーキであり、多様化への大きな舵取りになると確信している。
過去記事でもその点は何度か指摘してきたので、ご周知の読者も多いと思う。

配送品質や所要時間への認識と評価について、販売者と消費者の間には大きなずれがあるが、その修正はまだ不十分であり、販売力や付加サービスの差別化の道具として、過当な競争と我慢比べをやめようとしない者も多い。

送料無料はあたりまえであり、良心的なショップは購入者に負担を求めないものだ。
翌日配達や時間指定、再配達も再々配達も無料、などもユーザー満足のためには、周到に用意することが優良店の条件。
消費者を「破格に安い商品と送料無料はサービスの基本」と啓蒙してきたのは、各マートをはじめとするEC業界だった。
個配を担う運送業者も異口同音に迎合し、無理を承知で壁にぶつかるまでブレーキを踏まずに走り続けた。そして多くが自滅した。

配送サービスの根本を支配する「時間とコストの相関」を正しく測定し、それに応じた実務対応を常とする。
大人ならあたりまえの理屈を発する根拠としてのモーダルシフトの効用は大きい。
今こそ「すべてのサービスは有償である」という至言を改めて反芻しなければならない。
配送は内容を選択可能なサービスのひとつであり、消費者は何を優先するかによって時間とコストの組み合わせを選ぶことができる。
それは理想などではなくあたりまえであり正常なこと。
何でもかんでも無料にする愚は消費者を勘違いさせ、結局は裏切る顛末の始まりとなる。
抑止力のない過当競争は全体品質の低下を招いただけでなく、販売者や配送業者に対する不信まで生んでしまった。
「真に受けてはならない」という深層心理が払しょくされるには時間がかかりそうだ。

消費者に選ばれるための方策としての基本的な心理分析が欠けていたのは自明。
基本心理とは、気に入ったショップの商品を安定的に安心して購入したい、という生活者としての原始的な欲求に他ならない。
販売者や運送会社の視野にあったのは、消費者やユーザーではなく、競合他社の動向とそれらに対する優位性だった。
優位性を具体化するための道具は「より速くより安く」という無理の押し売りと道理の後退。破綻ともいえる収益悪化によるサービス・料金の大幅な改変と内部混乱が暴走にブレーキをかけたが、その急停止と方向変換の際にも、やはり消費者は不在のまま議論と意思決定と実施が行われた。
かかわったもの全員が敗者となった、と胸中でつぶやいたのは私だけではなかったはずだ。

二酸化炭素排出量の削減がもたらす効用は誰もが望むことばかりだ。
排気ガス規制に代表されるとおり、我が国では自動車業界を先頭とするさまざまなアプローチを実施してきた。
世界中が期待するEVやFCVの普及が、現状の排気ガスにかかわる諸課題を一気に解決してくれるはずだが、それにはもうしばらく年月を要しそうだ。

したがって、現状では輸送機関としての選択肢を増やし、比率を変えてしまうことで効果を得る、が物流業界の大多数が採っているモーダルシフトの水際対応だ。
実際には単純にトラック運送の比率を下げるということに終始しているのだが、前提条件として「それで支障ない場合には」が付されている。
できるところから着手することに異存はない。
しかし、目的意識や危機感よりもCSRの目次追加や行政指針への迎合といった類の微臭が鼻先をかすめるのは、私の屈折や偏向ゆえの勘ぐりにすぎないのだろうか。

さらに掘り下げた結果、荷の発送者と最終受領者である消費者の双方が「手段=時間」である側面を理解・納得する。
それによって、各運送業者は集荷と配達完了にまつわるサービスの多様化と時間選択に応じた輸送手段の組み合わせを実用化できる。
モーダルシフトの推進をのぞむならば、根本理念や国家としての国際責任などの大看板は後ろに控えさせるべきだ。
「急がないことは財布と地球にやさしい」という類のキャンペーンを展開して、具体的な負担コスト別の運送所要時間を広報すればよいと考えている。

「線路は続くよどこまでも」であるなら、大消費圏は言うまでもなく、各地の操車場跡や廃線区間の遊休地に個配各社が共通利用する大規模TCを建設すればよい。
最近はやりのクロスドッキングというやつだ。
海路を利用するなら、港湾部に鉄道と同用の施設を。
もちろん個配に限る必要はなく、多くの運送各社がこぞって利用参加すればなおよい。
そうすれば各社主管や集約センターへの経由無しで、ラストワンマイルの始点である営業所に荷が直送できる。当然だが集荷とその集約についても同様である。
線路も海も繋がっている。
すべての配送拠点が結ばれているのだから、時間さえ許せば必ず輸送は完了する。
二酸化炭素ガス排出量も交通渋滞による時間損失も道路摩耗のメンテナンス費も主要高速の利用代金も、場所や規模によって程度の差はあれど、緩和や節約が期待できる。

即日や翌日の配達、送料無料を頭から否定しているのではない。
商品や他のサービス同様、配送も価格と内容を選べるようにするべきだと主張している。
現在の国内配送において、運ぶ側の労務順法や有料道路の使用比率、積載率のムラなどの問題は、運送所要時間の無理ない確保で相当部分が解決できる。
まさに「時は金なり」というわけだ。

「配送所要時間に長短の幅が設定できれば、その金額にも相応の幅が生まれる」
のであれば、拠点間輸送(集荷地TC→配送地TC)は競合対象から外し、物流を必要とする事業会社の共通インフラ化すべきだ。
すなわち、物流の基幹部分を品質以外の要素で捉えること自体、今すぐ是正しなければならないのではないか、という議論に発展して欲しいと願う。
事業者の意識改革や申し合わせ以前に、介入でも圧力でもない運輸・環境・経済行政連動型の指針発表と趣旨説明を期待する。
モーダルシフトの運用手引きの具体として、船舶・鉄道の貨物使用量増加を後押しすることは、税金を投入して急ぐ価値があると信じて疑わない。
個配とそれを支える拠点間運送は、もはや国民生活に不可欠なインフラであり、場所や団体によってはコミュニティ形成の一助となりうる。
特に鉄道の利用拡大は単なる運送手段の代替にとどまらず、駅を利用したサービスの可能性に期待が膨らむ。その具体的な中身については改めて書きたいと思っている。

【2020.04.14追記】

「駅からのみち」第1回(コラム連載)

不在・再配が個配コストの高止まり要因の大きな要素となってきたことは間違いない事実だ。
各社の新しい受け取りサービス導入とその周知によって再配率は着実に低下している。
一定水準まで下がれば、あとは横ばいのまま推移するだろう。ゼロを目指すがゼロにはならない数値の典型であるからだ。
配送形態の多様化によって不在という状況がないパターンも増えるだろうから、対面での受領という件数は減少の一途となるはず。
従って不在率そのものより不在数のほうが追求数字として重要である。

私見だが、数年後には「不在率・不在数」という配送がらみの言葉はほぼ使われなくなっている気がする。死語化するわけではなく、興味の対象から外れるという意だ。
近年中に物品の受領方法は目覚ましい多様化と充実を成し遂げる。同時に、増え続ける個配数の中で既存形態の宅配が占める割合は減少の一途となるに違いない。
長年慣れ親しんだ「宅」への配達は、ドアの内側にいる人への手渡しではなく、備え付けられた箱や約された場所への置き配が主流化する。
その時に受取人かその同居者が在宅しているか否かの別はもはや関係なくなる。
「届けること」に、「対面手渡しする」や「受領確認をする」は無用となるからだ。

「頻繁に配送物を届ける先の受取人には一度も対面したことがない」
現在なら奇異に聞こえるハナシであるが、そんなことは珍しくなくなる。
かつての「気付」を意味する内容の文字が、受取形態に応じて話し言葉風に言い換えられた届け先表記の送り状が一般化するかもしれない。

届け先に受取人がいない。
いてもいなくても関係ない。
という前提で考えたからこそ不在率や再配率という言葉から解放されたのだ。

そう胸を張る個配業者や受取設備製造者、システム開発会社の面々たちの得意げな表情が目に浮かぶようだ。

ハナシを基幹運輸に戻す。
労務法令の順守強化により、車両運転者の一日走行時間は厳しく制限監視される。
今まであたりまえだった見積や発注書記載の所要時間は違法労働の産物として否定される。
改めて納期を探るが、実務的には発日の前倒しは難しい場合が多い。よって着日調整に焦点が定まる。
私見だが「従来着日の一日もしくは二日程度の延伸」あたりが妥当ではないだろうか。
恐らくきっと、それで商売に支障の出る販売者はほとんどいないなずだ。
自らが「翌日に届かないのは大問題だ」と恐れおののいているだけで、事前告知のある配送所要時間の長短は、購入行動や動機にほとんど影響を及ぼさないと推測している。
即必要なものがあれば実店舗で買い求めるだろうし、翌日や当日の生活に必要な買い物に利用するのはネットスーパーぐらいではないだろうか。
衣料品や耐久消費財、買回品にしてもアマゾンをはじめとするパワーセラーでの買い物時には無意識に近いまま最短日時を指定したり、画面表示されたま手続完了するが、「本当に急ぎなのか?」と自問する利用者は少ない。

「日数がかかってもよいので安い配送料を」「高くても急ぎで入手したい」の総数と比率こそが知るべき数値の第一。その際には「通常は」と「緊急時なら」の区分を明確にしたうえで調査しなければならない。大多数の通常時、がサービスの幹であり最多提供ゾーンとなる。
本記事の主題である時間とコストの相関関係は、購入者意識の赤裸々な実態。
販売者と運送者がそこを分析して、明確で明朗な「着日の沙汰も金次第」と理解を得れば、結果的にモーダルシフト推進につながる。

待てば海路と陸路の日和あり。
ちょっとこじつけすぎで調子にも乗りすぎか。
今回これにて。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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