物流よもやま話 Blog

コボットの惑星 第5章 協働と矯正、そして

カテゴリ: 予測本質

5.協働と矯正、そして

Collaborativeと銘打たれたロボットの特性――その本質は協業を第一義としている。
実稼働の幾種かを少し知る程度でも、すでに秀逸な機能やさらなる拡張性を疑う気持は霧散してしまうだろう。
「今でもこんなにすごいのに、さらに開発が進んでゆけば・・・」と感嘆の声の先に言葉を継げないのは、私だけではなさそうだ。

■協同から協働へ
辞書や用語辞典などによれば、

協同:力を合わせて物事を行うこと
協働:働くもの同士がそれぞれの得意なことを行うことで協力すること

とある。
微妙に違うことは何となく理解できるが、それが人間とロボットを対象として用いられる場合、いずれが好適なのかを判断することが難しい――あくまで私にはだが。
それぞれが得手を持ち寄ってひとつの目的に向かう、が協働の意味らしい。
それならば、まずは物流現場において人間とロボットそれぞれの得手・不得手を書き出してみなければならない。

人間の苦手なこと:人間関係と仕事全般、、、みたいのはダメで、馬鹿正直に過ぎる。
人間の得意なこと:特になし、、、みたいなのもダメだ。真理だが身も蓋もない。

と、すでに行き詰ってしまった。
かたやでロボット君は融通や忖度や虚偽や粉飾などが苦手そうだが、長時間労働や過酷な気象条件下での業務、安定した成果水準の維持、などは大変得意そうだ。
そのあたりが協働の糸口になると思われる。

■最初は望みどおりに
コボットの開発担当者や使用者のコメントから察するに、導入の当初はこちらの指定どおりに動いてくれることがわかる。少しばかり時間が経過すれば、望んだことを完全に満たし、さらにはそれ以上のパフォーマンスを提示してくるようだ。
つまり協業のパートナーとして、業務品質や効率の向上をめざしての提案や示唆を求めるようになる。
ある業務の数値設定である●●率90%を満たすやいなや、「95%にするにはこうしてああして」のように、次段階の目標設定を引き上げてくるのだ。
それはあらかじめ目標設定値が90/100なのだとプレ・インストールされているからで、自律性まで具有するAIは100%になるまで改善しようと考え続ける。
人間のように「ひとまず目標に達したのだから、少しこのまま巡航して、落ち着いたら次の段階へ移ろう」とはならない。
休んだり様子を見たり時期をうかがうといった、余分や一時停止はAIにとっては無駄や不効率のカウント対象にしかならないので、もとより排除されてしまう。

「まだやることがあるのだから、のんびりしている暇はない」
とばかりに、座して会議やPCでニュースを読んでいる人間の隣で、警告音か警告灯とともに現場を動かすことを要求する。それこそが、一切の斟酌や情実なき合理性と目的達成を追求するうえでの最短で最善な行動なのだと教示するかのように、だ。

■新婚当初から徐々に
現場作業者とコボットは夫婦のようなもの、とたとえてみる。
ならば新婚時の熱や密は時間とともに抑えられて、徐々に生活感が前面に押し出され、適当な間合いが保たれてくることは、どこの家庭でもあり得るハナシだろう。
それは冷めたり疎になったりという意味ではなく、共通の目的をもって家庭というコミュニティを築き上げるうえでの役割分担が生み出す距離感と言いかえてもよい。
アバタがエクボに視えていたのはやはり気のせいで、真実、、というか現実に気付く。
アバタだけでなく、あれこれと気に障ることが増える。
いつのまにかいたるところに張り巡らされている、「分担範囲」や「不可侵域の境界線」や「共通・共有物の取扱い」や「倹約と節制の基本的行動規範」などが、家庭という小さな社会の法律やモラルとして根付く。
その社会の構成員には時に心地よく、時としては都合が悪い。またある時には気詰まりで窮屈だし、場合によっては感情的になることもある。

結婚前や新婚時にはあれほど許容と慈愛に満ち溢れていたのに、いつの間にこんな、、、などは特定の誰かの事例でも何でもないのだが、そういうハナシは世間でよく耳にする。
協同を旨とする相互扶助の位置関係は早々に消失したかのようだ。
そしていちいち指摘やかなり強い要求か懇願かもはっきりしない「こうしてほしい」「ここをなおしてほしい」「次からはやめてほしい」などの要求が絶え間なく続く。
耐えかねて「いちいちうるせぇ」や「いいじゃねぇか、それぐらい」や「いいかげんにしてくれよ」など返そうもんなら、その先は毎度のように口論となる。事態が悪化すれば、家庭内に結界があるかのごとく、暮らしのパラレルワールド化が起こってしまう。

たいして広くない家の中で辛くしんどいので、まっすぐ家に帰らなかったり深夜帰宅してすぐに床に就く、のような肩身が狭い思いに耐えなければならない。
それが嫌だからこそ従うのだ。面従腹背だらけの毎日かもしれぬが、我慢することですべてうまくゆくなら致し方ない。

■矯正で足らぬ場合には
矯正者と被矯正者の関係が均衡して安定的である状態はあまり長く続かない、というのが歴史の統計的検証の結論となっているようだ。

「美はただ乱調にある。諧調は偽りである」

なんてことは、歴史の読み物の中にでてくる言い回しだけの表層にとどめておきたいのだが、現実はなかなかうまくゆかない。
人の営みとはおおむね美しくもなく乱調ばかり、が常であるのは書くまでもないことだ。矯正の助言は、相手には強制的な命令としか受け取られないことに、嘆き悲しむ指導者は多い。
しかしながら家庭環境や生活品質の「カイゼン」という命題のためには、心を鬼にしてでも貫かねばならない正義がある。
――被矯正者である夫や子供が、家庭という帰属社会発展のための具体的な到達目標を見失わないための苦言。
――奏功のためなら、多少の摩擦や不興を買うことなど恐れはしない。
という信念の元に、いつの間にか矯正の助言が命令に転じていることに気付かない、妻であり母でもある、家庭の始まりには協働者として相歩んだはずの相方。

ここまで書いて、ふと「もしこれが、、、」というたとえ話を思い浮かべてしまう。
――もしこれが妻でなければ、
――もしこれが身内でなければ、
――ましてやこれが人間でさえなく、AIのバケモノならば、

「まさに主と僕(しもべ)と同じではないのか」

ということを考えることは虚しい限りだと思う時点で、次世代には無用な遺物扱いされるのかもしれない。あくまで文意の理解を定める比喩として書き始めたのだが、いつのまにかわき道に逸れてしまった。
そろそろ本道に戻るが、なんとなく伝えたいことをご理解いただきたいと願う。

■利潤という正義
物流現場でのコボットが果たす役割は重要で影響大だ。
何に対してそうなのか?
言うまでもなく「利潤」に向かう我々の目的達成のためにだ。
利潤とはお金のことだ。
確かに利益の出ない企業には存在価値がない。
利益を生まない事業体は無責任となりがちだ。
利益は雇用を生み、雇用は消費を生む。そして消費は新たな雇用を生む。
だからこそ利益を確保し続け、潤いを皆で享受しなければならないのだ。
では徹底した効率追求という合理化の先にある利潤確保とは、誰のためにあるのかをもう一度考えてみなければならない。

協働に始まり、今や矯正を促す示唆を過ぎ、補正命令まで強いるようになったコボットのパフォーマンスに納得して頷く経営層。
彼らの経営する企業の提供している商品とそれを支える流通システムに顧客は満足しているようだ。その証左は淀みなく獲得できている利益だ。
現場の作業者はコボットの指示どおり、黙々と手を動かしていればよい。まかり間違っても、個人的な工夫や機転などの魔が差すような事態は厳禁だ。
成熟したAIに及ぶ人智などもはや存在しないし、瞬間的に勝っているように思えても、少し時間が経てばそれは錯誤でしかなかったと思い知る。
正解は常に「AIの指示どおりにする」であるのだ。
そんなことは2021年の今日考えてもわかるハナシだ。
試しに貴方のカーナビ誘導に逆らって、別ルートで目的地に向かってみればいい。
「おそらく」ではなく「かならず」、到着時間はナビゲーションシステムの表示よりも後になるだろう。システム殿に逆らうとそういうイタイ目にあうのだから、次からは従順に行動するべきだ、と痛感して終わるのが関の山だ。

早く着くことが目的なら、カーナビは常に正義の主だ。
同じ理屈で、より多い利益が目的なら、コボットは現場での正義となる。
それに異を唱える者は、企業から去るにとどまらず、市場からも退場せざる得なくなるのかもしれない。
極論すぎて、書いていて嫌気がさしてきたのだが、現実に起こることは想像時の嫌悪感などはるか凌ぐ中身であることが歴史のならわしである
――も失念してはならないと胸中に警告する声が巡る。

■協働と共存の捻じれ
今一度「協働」の意を前出とは違う言葉で記してみたい。

協働:同じ目的のために、対等の立場で協力して共に働くこと

と国語辞典にはある。
これだと、今までの文脈が言葉の本旨を曲げていることになり、たいへん不本意だ。
かといって、時代にあわせて辞書の改訂を乞う、と書けるほどの実力も度胸もない。
本稿の趣旨は批判や非難ではないし、悲観や誹謗の下地も皆無だと断言する。
ただ単に「おそれている」だけだ。
怖れる・畏れる・懼れる、の変換文字すべてがあてはまる心情で書いているに過ぎない。

向かうべき未来を期待しつつ、どこか釈然としない微妙で寄る辺ない心情。
誰も悪気なく、ひたすらに社会や集団の「利」を目指す。それは個人の「益」として還付されるのだという信念に基づいている…という伏線の先につながる戦略の数々。
若年層やその子供世代に向けた、現代からのギフトとして、きらめく言葉や予想画像のオムニバスドラマのような仮想空間のスライドが流れ続けている。

―次回へ続く―

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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