物流よもやま話 Blog

河口湖の韋駄天おばば様、ふたたび

カテゴリ: 本質

2年前の9月、学生時代に人生初のフルマラソンに挑戦したというハナシを書いた。
それは入学した年の11月下旬で場所は河口湖。友人2人と前泊して、ちょっとした小旅行気分で参加したのだった。
今は「富士山マラソン」と名を変えているその大会が、人生最初で最後のマラソンとなった。なぜなら「もう一回走ってみっか!」という気持には「ぜーったい」ならないからだ。
7時間に及ぶ42.195kmの悲劇のような喜劇の劇中にはいくつかの印象深い場面があった。その中でもバカボンパパのごとく忘れようとしても思い出せないエピソードから連想される物流現場の労働力確保についての提案を書いてみたい。

高齢者労働力の活用は物流業界にとっても不可避の命題だ。

自動化や省人化がシュプレヒコールさながらに喧伝される昨今、その因ともいえる深刻な人手不足の状況は現業と表現される事業現場には喫緊の課題となっている。
それと相まって、年金財政の先細りによる支給額切り下げと支給開始年齢の切り上げは、「高齢者の経済的自助」ありきという解への式となっていることは書くまでもないことだろう。
「まだ働かなければならない」なのか「まだ働けるし、働きたい」とするかは本人次第、と切り捨てるのではなく、環境整備や機会提供を行政が率先して啓蒙し、企業が積極的に取り組まねばならない。
食物同様に労働力の自給率維持は国としての成り立ちの基盤であるはずなので、皆で考えて実践することが大人たちの責任ではないだろうか。

各地の物流現場ではものすごい技量と技能のジジババが数多く活躍している。。。というよりごく自然にあたりまえに日々業務をこなして、数合わせの「高齢者従業員比率」など死語と化しそうな実情や事例がたくさんあるのだ。
確かに一般論でいうところの体力や瞬発力は加齢とともに衰えてゆくものだろう。しかしそれが必ずしも「若齢>老齢」とはならないことも併記しておかなければならない。
アンチエイジング業界に衝撃が走った「90歳なのに30代の足腰年齢」だったのは、亡き内海桂子師匠の有名なエピソードだが、それに及びそうなガンバルジイサンやガンバルバアサンの存在を皆様には知っていただきたいと切に願う次第だ。

老舗の中小倉庫に多い光景だが、50代から60代ぐらいのスタッフのほうが20代30代よりも動きがよく見えることが多い。物流関係者である読者の中には思い当たる方々も多いだろうし、未知の方でもその現場を一見すれば万事頷けるに違いない。
特に顕著なのは、往々にして入荷や返品処理、梱包の作業場で、まさに「流れるような」「継目ないスムーズかつ静かな」「相応しい敬称を名付けたくなる手技の連続」といった言葉が漏れたり内心に浮かんだりすることだろう。
そんな場面がピッキング以外の場所に頻出するのは管理者が敏腕であることの証左なのだが、「なぜそうなのか・なぜそうあるべきなのか」の解説については別稿に譲る。

現場の人員配置を決定するにあたり、年齢・性別・国籍・学歴・経歴による先入観にとらわれた偏見は厳禁である。スタッフそれぞれの各業務に対する適性観察と単一業務への固定化を回避するための多能工化の推進は最低条件であるという意識が求められる。
そういう現場にすることが管理者の仕事の基本であるし、そうでなければ基本設計が業務フロー経由でOJTに落ちず、すべてが絵空事に終わる。

業務フローという仏を削りだしたら、OJTで魂を入れるのが現場管理者の責務だ。
そこさえきっちりと押さえておけば、責任者が運転席に座っているだけで、バスは粛々と目的地へと走り続ける。定時の各方向確認と要所の点検を毎日欠かさずに繰り返すことで、乗務員全員が無事に終点に到着し、それぞれが報われる結果を得られるはずだ。

直近の人口動態統計を何度眺めてみても、得られる答は決まっている。
減る若者を奪い合う消耗戦はやめて、増加する高齢者層に検索の眼を向けるべきだ。
単純な思考の切りかえによって、物流現場の人員配置や作業工程の抜本的な再検証を行う必要が生じるのだが、それは決して面倒事ではなく好機到来と受け止めねばならない。

人間に更年期があるように、企業にも同様の切替わりの時期が到来する。
それは老いて衰えゆく身体の機能に応じた、それなりの活動にそぐう仕様へと改変するための所用時間なのかもしれない。企業なら成長期から成熟期に移行した国家経済に順応できる経営体質への変革期間と言い表してもよいだろう。さらには、人間の更年期に個人差があるように、企業にも個体差があるのだという説明にもうなずける気がする。

更年期明けの颯爽として元気な人と企業が増える国。
日本とはそんな国なのだという説明が世界各国で話題となる日を願う。それは若者たちの負担や不安を減らすために、中高年以上の世代が背負うべき責務だ。下の世代に迷惑や負担を掛けぬ努力と弁えを怠らず失せずは言及無用だろう。

 

ヒタヒタと迫りきて横に並び、少しずつ離れてゆくおばば様の颯爽とした後ろ姿。
その前かがみ気味に曲がった背中にプリントされていた「韋駄天」という筆書き風の墨文字を、疲労困憊でかすみそうな視界の先に見送る若造3人組。
あまりの羞恥に俯き、情けなさと不甲斐なさの入り混じった泣き笑いとヨロヨロな歩行。
「いったいどーなっているのだ、あのおばば様は」と全員が口にしたのは、帰京後に全身の筋肉痛がやわらいだ2日後の講義で顔を合わせたとき。韋駄天おばば様は特別元気で稀有な存在の年寄ゆえに、現役から離れてすっかり体がなまってしまったかつてのアスリートたちが後塵を拝したことも致し方ないのだ、、、のような言い訳三昧に終始した気がする。

30年以上前のそんな出来事を失念することなく教訓とし続け、若かりし頃に今の実感が予見できていたなら、もう少し気の利いた仕事の出来を得られる人生だったこと間違いない。
しかし残念ながら凡夫の極みのわが身ではこの体たらくが分相応だ。

なんてことを想いながら、今年の富士山マラソンは中止という告知を「あらら、、、」と呟きつつ読んで、タメイキを吐いている。
来年は開催できることを祈る。
そして令和の韋駄天おばば様の登場を期待してやまぬ。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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