物流よもやま話 Blog

「在庫≠商品」魔法の舞台と究極の引算

カテゴリ: 本質

倉庫にある在庫品と店頭で販売している同一品を瞬時に合致できないことがよくある。
「あまりにも違いすぎる」というのがそれらしい理由の言い訳となっている。
言葉は悪いが、庫内で仮死状態という表現が相応しいモノと、売場で展示されている生気にあふれ満ちた商品はまるで別物に見てしまう。
「お家のパパ」と「会社のパパ」はちょっと違う、のと同じなのかもしれない。
ゆえに新作の展示会などで見て回ったアイテムが入庫してきても、それがはたしてどれであったのかは判別できないことが多い。
そんなことばかりなので、保管されている在庫品に対して売り物としての関心を持たないのが常となってしまった。

物流屋みたいな裏方・縁の下・黒子の商売は、舞台準備や撤収や幕間に汗をかく。
従って、照明輝く華やかな舞台を観客が前のめりで観入る時間には立ち会えない。
物販の現場とは、まさに荷主にとっての舞台であり、来客を最高の状態で迎える。
売り場には魔法の仕掛けがあって、倉庫に眠っていた「在庫」が「商品」に変貌する。
私が極端にドンくさいからなのだが、売り場を訪問したり展示会に出席して商品を見るたび、まるでその荷主の品物を初めて見たかのように、内心「おぉ~」と感嘆しているのだ。

逆も同じだ。
返品されて再入庫待ちの商品は、もはや仮死状態となっていて、ついている値札に首をかしげることもある。
いったいいつ輝きが消えて、ただのモノに変わってしまうのだろうか。
やはり不思議で仕方ない。

この類の話題になるたび、ある経営者の言葉を思い返す。

「売り場にすべてをかけなさい。展示品が輝き、その魅力を余すことなく伝えられるように。
お客様の欲しいものが揃う・様々な予算に応えられる・心地よい接客・的確な商品説明。
これをどの会社よりも良い場所で、より良い商品を、より安く提供できれば必ず報われる。
あたりまえのことを、どの会社よりも徹底してやるのです」

カタログや在庫表を広げるような接客は認めない。
売り場の展示でお客様を満足させられないのであれば、それはもう販売者として失格なのだ。
最大の魅せ場は「店頭での展示」でなければならない。
サイズやカラーのバリエーション、自店舗の展示品・在庫品の今朝の全社総在庫数は最低限度の準備として、完全に把握しておくこと。
ご来店のお客様が展示商品をご覧になった時、関連する種々の必要情報が一目でわかるようなPOPや簡易ツールを工夫作成しなさい。

こんな言葉の数々が今も回想される。
その業界の当世一の売り手と名をはせた人。
頷ける言葉はあまりにも多い。

在庫が商品に変わる瞬間とは、売り手が来店者の要望を思い描き、そのイメージを自らの手で品物の展示に注ぎ込むときなのだろう。
倉庫内では在庫はモノであり、そのモノは貴重で丁寧に扱わなければならないが、それ以上の感情移入は無用。
物語性の排除こそ、物流現場の本質なのだ。
保管物の背景にある物語を知る必要はない。
素材や諸規格のこだわり、デザインの妙なども聴かなくてよい。
全ての事由に先んじて、合理性と正確性を追及する。
それゆえに現場の機能美や終始の一貫性が生まれるのだ。

銀行員が取扱金額に自らの生活における金銭感覚を持ち込むのは禁忌であるし、外科医が執刀時に施術部分とその周辺状態、時間と各数値以外に気を散らすことも同様。
倉庫内では、ピッキングしているその品物の値段やデザインなどに眼をやってはならないし、サイズやカラーも見なくてよい。ピッキングリストにあるのはロケ番と品番の下数桁、そしてピッキング数だけである。無機質な英数字の短い羅列に従い、黙々と作業する。
だからこそ、ミスなく無駄なく躊躇なく作業が終わる。誰がやっても同じ結果が出せる。
その環境を整えるために、業務フロー設計と現場管理者が存在する。
そしてそれこそが倉庫作業の本懐であり、その先にはモノだった在庫品が魅力あふれる商品に姿を変える売り場が待っている。

役割を全うする。
それだけを心がけることが、最も貴い仕事観ではないだろうか。
物流現場は究極の引算でできているのだから。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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