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コボットの惑星 第8章 先例に学ぶこと

カテゴリ: 予測本質

8.先例に学ぶこと

望外に長い連載となっている。
急速なAI普及と自動化猛進など、利器依存への危機感や憂う心情にいつわりないのだが、かといって絶望や無為を決め込んでいるわけでもない。
われわれが抱いているさまざまな心情――現在の世相や方向性への賛否――に対する解答は、おそらくきっと過去にあるという気がしてならない。
それを寄る辺とできるのではないかという期待が、動転や悲観を和らげてくれる。

■双生児のつもりだったのは
AIとともに栄える未来の物流現場。
そんな謳い文句を目にすることが増えてきた。
確かにAI搭載の機器や派生システムは頼りになるし、拡張性もまだまだ見込めそうだ。

子供が減って年寄りが増えても、それを補う方策としては申し分ない。
まさに他には代えがたいパートナーであり、人間の英知をそのまま、いやそれ以上に踏襲する双子のような存在だ。
そのうちAIが知性や感情を自覚し始め、いわゆる人格のようなものを形成し始めたなら、きっと無二の友人として共に歩んでいけることだろう――と夢想し、望む者もいるかもしれない。
それはゲームやアニメーションのキャラクターをあたかも実在するかのように想い扱う人々と同種の思考や感情の持ち主――だとしたら膨大な人数に達するに違いないし、世界人口の一定比率を占めることになる。

擬人化した僕(しもべ)や部下としてではなく、友や同僚として認め、さらには上司や先輩として敬い頼り、ついには主人や支配者や裁定者として崇(あが)めてすがる。

という妄想を打ち消せないのは私だけなのか。

■火の次は知能
科学的な学問として世界の始まり・人類の祖の物語を読み進めば、人間と「火」の関係が語られる章にさしかかるはずだ。
そこにはみじめで小さな哺乳類として誕生した人間の祖先が、小柄な体格と恒温ゆえに氷河期を生き存え、やがて進化を遂げて「火」を使い始める件が淡々と書き連ねられている。

知能進化は生存競争力や生態系での順位を向上させただけではなかった。
自作自演の極致でしかない滑稽な物語――氷河期のはるか後、現在に至る生態系の再構築がなされた時代に登場し始める「神」をも超える存在となりゆく顛末――の始まりである。
現代がその過程のどのあたりにあるのかを知る者は皆無だ。
そもそもどこに向かっているのかやどうなるのかを知る者がいないのだから、人間にとっての進化とは、行き当たりばったりの結果論でしかない明日を指すのだろうとしか思えない。

火を使い始めたくせに、実は理解も制御も中途半端にしかできておらず、その時々で便宜や欲望のために火力を濫用するゆえの事故や人災が後を絶たない。
典型は原子力。空気を汚さず、人の寿命に比せば半永久とも思える時間の電力生産が可能。安全性を担保できれば申し分ない文明の利器だ。
地球を汚さぬように創造された利器を容易く破壊したり停止させることができるのは、われわれ人間が保護しているつもりになっている地球そのものだ。
地殻変動は岩盤を揺らし、その上に建設された原子力設備を破壊する。
漏れ出た放射能汚染によって人間の居住区域は狭まり、何世代も経なければその土地の清浄は復活しない。さらには地震によって海洋部で沸き起こった津波が湾岸部を洗い流し、人の営みのすべてだけでなく、命までも奪い去る。

■恣意なき営み
しかし、原子力のもたらす電力の恵みは圧倒的に合理的で安定している。
通常稼働しているかぎりは尽きることないエネルギーの泉であるし、泉の数を増やせばまだまだ電力の増産は可能だ。
誰にも抗えぬ自然の営みによる現象の一部に、われわれ人間が命名している「天災」というものが属している。
宗教家や予言者の不興を買いそうだが、何者かの恣意や裁定のすべては自然の営みの終始にまったくかかわれず、無知で無力でしかない。

だからこそ太古より生物は自然を畏れ、時に逃れ、時に一体化しようとしてきたのだ。
中には神という名で称えたりありがたがったり畏れたりする者たちもいるようだが、全員がほとんど無知のまま自然と接していることだけは確かだと言ってよさそうだ――自然どころか人間そのものについてさえたいしてわかっていない、という言葉も添えておきたい。

■不遜と傲慢
原子爆弾で多くの命を失い、大震災で原子炉心溶融による甚大な放射能汚染に見舞われた国では、電量不足による原子力依存への再検討が刻々と進んでいる。
異国の地では、移民が原住民を追いやって繁栄を極め、超大国化したにもかかわらず、今や他国からの移民による自国民の利益損失を憂いている。
そして先進国と呼ばれてきた国々では、たくさんのコボットを省人化や合理化のために大量生産し、人知でははるか及ばぬ知力と判断精度のAIを肥大化させつつある。
やがてはAIを頂点とするコボット達に隷属せざる得ない未来を自ら招こうとしているかもしれぬ――そもそも補助や補完の道具や手段だったはずなのに。
すでに主従逆転の可能性をはらんでしまっているが、それを制御できていると勘違いしているだけだと危惧する声は極めて少なく小さい。

実態は利用から依存、ついには支配される途を歩む。
かような疑いを持つことは無益や無知の典型とされる。
ひとえに「ではどうすれば未来が形作れるのか」という命題に対する代案が出せないからだ。
「進化や発展しないことは悪であり劣であり非とみなされるのか」を議論する兆しなど視えぬまま、時代は進んでいきそうだ。
知能の追求の果てに、自らの知能を必要としない存在と化す――それを人間という――は「PLANET OF THE APES」の二番煎じとして苦笑されるに過ぎない戯言なのだろうか。
思考がぐるぐる回り、やがて疲れて眼を閉じてしまいそうになる。

■先人の知恵
未知の出来事の到来には不安と辛苦がついてまとう――そんな暗所に閉じ込められてやっと「予定調和やマッチポンプ」のありがたみや安心の貴さを思い知る。
ドラえもんは必ずのび太君の悩みや苦しみを解決するし、弥七の風車は間一髪ながらもご老公を危険から救う。だからこそわれわれは安心してハラハラし固唾を呑み勧善懲悪の結末に安堵と納得ができるのだ。
「どうせ最後はきっと……」と内心で決め込みながらも、毎度の幕引きを見聞きしてほっとする。それを「楽しい」「面白い」と感じて止まず、来週もまた楽しむ。

予定調和への嘲笑や倦怠と同居する安心感。
矛盾こそが人間の本質なのかもしれない。
数多の先達は、現代のわれわれ同様にたくさん考え、大いに疑い、烈しく議論し、ひとつの結論に至ってきた。
それは人間の本質が時代や環境に影響されるものではなく、普遍的なのだということなのかもしれない。
世界は繰り返す――永劫回帰――が普遍的であるように。

―次回に続く―

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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