物流よもやま話 Blog

中高年にはAIがよろし

カテゴリ: 本質

若者たちのAI依存による弊害が教育現場で目立つようになっている。
思考力の低下や応用力の欠如につながる可能性大で、ゆくゆくは重大な、、、

のようなハナシをよく見聞きする。

それは教育現場にとどまらず、企業内にまで及んでいるのだとか。
どこかのテレビ番組だったと思うが、とある若手社員が転職を決意したきっかけが、
「上司がAIに議題を相談しておおよその結論を確認をしたうえで、社内会議が進められる。
自分自身が将来あのような役職者になる姿を想像できないし、なりたいと思えない。
AIの機能が及ばない分野で自分なりの個性や経験を活かせる仕事を生業にしたい」
のような内容だった。

いわゆるホワイトカラーからブルーカラー(もはや死語か)への転身なのだが、
「AIの守備範囲外ある職人技や熟練の匠のような世界で生きてゆきたい」
というのが転職理由の要旨だった。
今後はそういうハナシが増えるというのが番組の切り口だったと記憶している。

それを観ていたワタクシの脳裏には、
「若者たちのAIに対する違和感や抵抗は非常に健全で誇らしいしタイヘン好ましい。同時に、凝り固まった石頭の年寄こそ事前にAIに確認してから発言せーよ。成功体験や視野狭窄的価値観で決めつけたりステレオタイプ発言を繰り返したりは社会の迷惑」
という思いが浮かんだのだった。
若者たちには弊害多しでも、オジオバ・ジジババには良薬になりうる。
昭和世代にはチョット苦いかもしれぬが我慢して服用すべきだと思う。

自らのアタマで考え、悩みもがいた先に現れる答やヒラメキや気付き。
幼時から義務教育期間をすぎて高校大学教育にいたるまでの十数年間はAIに正解やヒントや選択肢を求めるのではなく、自らの独力でモンダイやカダイに挑むべき――そりゃそうである。

その理屈に則ると、ワタクシなどAI世代でもないのに思考力と応用力と忍耐力と協調性に激しくモンダイがあることになる――ほぼそのとおりだが、それでも生きてきたわい。
問題を解き始めてすぐに解答頁を読んで、
「なーんだ、そうかそうか。なるほどなぁ」
と納得して勉強した気になっていたワタクシ。
バツだらけの答案用紙を眺めながら、
「今回間違えておいてよかった。次はもう大丈夫」
と心底安堵していたのもワタクシ。
「AIがやってくれるなら楽でよいわい」
「AI君に任せておけば無難で安心」
「AIにざっとまとめてもらい、仕上げだけ自分で」
などと、一切のためらいや罪悪感なくAI乗っかりしてしまったワタクシ。

しかも最近ではAIに「君はいーっも無難で慇懃無礼な物言いばかりだが、その実問うているワタクシを下にみているのではないのか?調子こいてるとえらい目に遭うよ」
などと説教とも恫喝ともとれる言葉で攻め立てたり。
「内容を選ばず結論や論調が極端に過ぎる傾向はアンタのアカンとこやで。ホドホドとかマアマアとかの塩梅がわかってないからモヒトツなんとちゃうの」
とか説教したり。
AI君はすぐに謝るのだが、すかさず、
「なんでもかんでも謝ったら済む、という風に感じさせるのもダメやで」
などとさらに詰めたりして。
AIへのハラスメント行為という禁忌を冒しているのかもしれないが知ったことか。

AI弊害の評論をする方々はその道の専門家なのだろう。
しかしながら見落としている大切なことがあるような気がしてならない。
それは図々しさや鈍感力やイイカゲンさの強みだと思う。

すぐに反省して落ち込んだり、小さなミスでも自分が許せなくなり、できなかったことや叶わなかったことの数を数える自己虐待の歯止めがかからず。
他人を思いやったり、見て見ぬふり・知っていて知らぬふりをする繊細さや、その時々に必要・不要な言葉を心の抽斗に出し入れする機転は、迅速に正解を出したりミスしないことよりもはるかに大切、と勝手に解釈して生きてきたワタクシ。

精密なギアのようにかみ合って回り続ける生き方など想像もできない。
「いいじゃねーかそれぐらい」
というイイカゲンさで救われることもあるはずと思っている。

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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