物流よもやま話 Blog

エンドクレジット2018

カテゴリ: 経営

今日が仕事納めという企業が多い。
毎年末に思うのだが、不要不急の大掃除と偉い方の演説を聴くための出勤は虚礼化しつつあるのではないだろうか。
手間がかかる・水を使う類の掃除は気候のよいGWあたりにやったほうがいい。
くそ寒いなかで冷たい水を相手に掃除する理由が暦のしきたりであるなら、個人的には「そんなもんどーでもええわ。さっぶいし、めんどいがな」と独り言ちて酒でも呑んでいる。
「お客様に何の関係もない出勤なら、今日から休みにしてくれたらいいのになぁ」
なんて本音を吐くのは、会社ではダメな奴と言われてしまうのかもしれない。
働く者の実感や胸中を斟酌することも経営層の仕事であるはずと愚察しているが、嘲笑や失笑まじりに「協調性に欠ける」「非常識」「異端」と一蹴されてしまうのだろうか?

何でもかんでも虚礼廃止すべきなどとは思わない。
今年の年始記事に書いたとおり、世間の無駄や余分はお金の循環を生み、つながりやありがたみを維持する。場面場面に応じた取捨選択をそれぞれの企業や個人がすればいいのに、と感じているだけだ。
自分自身は20年以上前に年賀状などの各種挨拶状と中元歳暮を廃したが、その分を平素の訪問時の「ちょっとした愛想として」の粗品に替えている。
伝統や継承という言葉を否定するつもりはない。しかし、時代とともに変えてゆく事項もあってしかりと思うだけだ。

流通インフラも店舗も不休なのだから、いい加減に休業規程を見直してもいいのでは?
と数年前から強く感じてきたが、風習や慣例が簡単には変わらない現実もわかっている。
世間並とか他社同様という言葉を抑え込むのは並大抵のことではない。
しかし、天皇誕生日からクリスマスを経て年始一週間ぐらいまでの「徐行から停止。そして再び徐行開始」的な空気やリズムはもはや「前時代の残骸」としか感じない。
たとえば今年などは12月21日で開店休業状態になった会社はとても多いはず。
もちろんそんな本当のことは誰も公言しない。

企業の実質的な対外的営業活動は年末年始に二週間前後停滞する。ならば、冬季よりも夏季の過酷な高温多湿時の休業に振り替えるほうが働く者にはありがたいのではないのだろうか。
会社や部門によっては無理して稼働停止するのではなく、徐行程度の動きを続ければ年始の大きな混乱やそれに対する不安も消えそうな気がする。
停止と始動の時が最もエネルギーが必要でトラブルなどのリスクが高い。それは物流に限ったことではなく、多くの現場業務に共通する事実。
従業員を思いやる経営層と管理層の躊躇は理解できるが、アンケートなど実施してみれば意外な反応が読み取れる可能性が高い。ちなみに予想ではなく実例を書いている。
年末年始に働くことを厭わない・何も抵抗ない、という従業員が想外に多いかもしれないですよ、と付け加えておく。経営層の通念と異なる感覚の従業員が社内にいるのだということを詳らかに認識する必要があるし、それは自社の実態なのだと納得すべきことなのだと思う。
年始波動が大きい企業であれば、「一部徐行稼動」と「完全停止」それぞれの人件費と光熱費などのシミュレーションとリスク低減効果を分析する価値は十分にある。
是非ご検討いただきたい。

個人的にはずいぶん前から年末年始の行事やしきたりのようなものに距離を置きつつある。
食べ物やテレビ番組、諸事の外出。
そのほとんどを自身が好きなものや観たいものや行きたいところだけに限るようになった。
テレビは完全に観るものが切り替わり、費やす時間も激減したし、食べ物も普段とあまり変わらなくなっている。
そして年に数度の「映画ぶっ通し三昧」の期間として世間様とは別意でワクワクする。
自分的ベスト100ぐらいの中から十数本を選んで耽溺する。今年はどうしようか?
高価なおせちや正月番組よりも映画のほうが心満たされる。
アルコールが切れないので至福の時を過ごせる。

映画好きが高じて、仕事の場面でも何らかの映像やシーンや台詞を想うことがある。
この企業の「事業物語」という映像を制作するとしたら、エンドクレジットはどんなロールが巡るのだろう?などのような。
普段は縁の下で営業や仕入を支える物流部門が先頭に出てくればいいのにな。
なんてことを想ってみたりする。

大昔のことだが、サラリーマン生活の最後となった会社で自社PVを制作した。
原稿は全部自分で書き、撮影や編集スタジオには缶詰状態で立ち会った。
ナレーションは無理を承知で高名な方にお願いしたのだが、仕事を引き受けていただいた意外さ以上に驚き感服したのは、私の拙い原稿の一言一句まで読み込んでこだわり、校正まで自ら行い、通しの確認を何度もされたことだった。その方にとっては歩留まりのよろしくない仕事であるはずなのに、一切の手抜きなく真剣に読んでいただいた。
達人の所作は若造である私にとって強烈な印象と勉強になった。
「請けた仕事」に対する自らのプライドの在り方の具体を焼き付けられた。

そんな出来事がいくつか重なり、制作意欲は大きくなる一方だった。今では絶対できないことだが、若く体力と熱意の塊だったゆえ、寝ずの仕事も何とかこなしていた。
私の勤め人生活で、形ある仕事の一つにもなった。
一番こだわったのはエンドクレジットだった。
画像と音楽、ナレーションとエンドロールクレジットが勝負所、と頑なに追求して制作した。「かっこいい」「しゃれている」、、、つまり俗にいう「ウケ狙い」だった。
社長の戦略秘書であり経営企画の責任者だったので、創業の精神や経営理念は正確に織り込んでいたものの、表面的な見栄えを第一に置いた制作趣旨だったと思う。

しかし、想外の反応が起こった。
社内での初プレゼンの時、社長が微動だにせず泣いていた。静かな涙だった。
完パケのVHSテープを持ち帰った社長はエンドクレジットを何度も再生したという。
当時の私にはその真意がわかっていなかった。

事業を創り、拡げ、強くし、大きくし、何度も岐路に立ち、選択し、進み、迷い、悩み、立ち止り、猛進し。
渓流のように始まった細く急峻な流れが今や雄大で水量豊かな清流となり。
事業にささげた人生のクレジットを何度も観返したのだろう。

 

一年の終わりに流れる各社・各人のエンドクレジット。
今年はいったいどんな名前や役割の方々の名が刻まれるのだろうか。
そしてどんな場所や施設やサービスが人生や生活のかかわり先として挙がるのか。
その中身は他者にはわからない。
しかし個々の脳裏には、フラッシュバックする喜怒哀楽や人々の姿がたくさんある。
自身をいつくしみつつ想い起こす ‘ ほほえみの時間 ’ を楽しんでいただきたいと願う。

本年大変お世話になりました。
眼を閉じて想いを巡らせる私のエンドクレジットに皆さまのお名前が次々に流れています。
静かで心地よい歳納の時をお過ごしください。

永田利紀

著者プロフィール

永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。

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