
今さらながらだが、超高齢化時代に突入して久しい。
あまりにも一般化してしまっているせいか、各メディアをはじめ人々の日常会話でも普通名詞としてすっかりなじんでいる。
それならいっそのこと、幼年・少年・青年・壮年(中年)・老年(高年)という、たいしてエラクなりそうもない出世魚的表現はやめにして、子供→若造→大人→超年という明快で端的なのはいかがだろう。
我われ物流人が目指す場所への途中には「物語性の排除」という難所が待ち受けている。
機械でもシステムでもない生身の人間が、作業や判断をよどみなく実行するためには、無駄や余剰が削ぎ落された業務フローと作業手順の徹底したOJTが不可欠だ。
そしてある時から、脳裏を過るようになったのは「この人はとても強い人なのだ」や「実は弱い人なのかもしれない」という言葉だ。
何に対しての強いか弱いかも独善的ながら確信している。
それは「自分自身との約束」についての意志の強弱だ。
自身との対話を拒み続けてきた人は弱い人。その逆は強い人。
生来の面倒くさがりである。
自他ともに認めるところであり、その徹底ぶりはわれながら見事なものだと思う。
偏りはほぼなく、一事が万事において「あぁめんどうくせぇなぁ」とブツブツ文句を言いながらいやいやこなす、、、は日常であり自然なことだ。
新型コロナウイルスにまつわる、ふたつの「イギ」についてのハナシが多い。
計画や実行の明細についての意義や、止める・止めない、改める・維持する、などの異議を論じる際に、ハナシの基点と起点というふたつの「キテン」の存在によって主眼要点が異なることはあたりまえだ。しかしながら、ディベート下手な政治家や評論家が多いせいか、テーブルの上が散らかるばかりで、なかなかまとまらない。
物流の未来を想うとき、脳裏に浮かぶのは農業の歴史だ。
物流業界が直面している問題や課題、希望や期待の行く末の姿は、農業の今と訪れつつある未来形の中にあると思える。
狩猟依存から脱却した耕作文明は、やがて人類の生存を安定化する基盤となり、膨大で長久な時間の流れの中で、無数の曲折や進化を繰り返しながら今に至っている。
学んで考える対象としてはこの上ないだろう。
永田利紀(ながたとしき)
大阪 泉州育ち。
1988年慶應義塾大学卒業
企業の物流業務改善、物流業務研修、セミナー講師などの実績多数。
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